この間、ようやく夏目漱石の「こころ」の授業が終わった。
長かった…
教科書に載っているのは「先生と遺書」の一部で、Kの自殺を「私」が発見し、Kの遺書に自分を責めるような言葉がなかったことに「私」がほっとしたところで終わる。
人間のエゴイズムがリアルに描かれ、取り返しのつかない自殺で終わるこの単元は、授業をしている教室の空気もどんどん重くなってくる。
変に入り過ぎないように、余談も交えながらなるべく表現に注目して授業をしようと心がけていた。
先日、あるクラスでいよいよクライマックスというところを生徒に読んでもらった。
最後の文、
「そうして振り返って、襖にほとばしっている血潮をはじめて見たのです。」
というところを、その生徒は
「そうして振り返って、襖にほとばしっている血のりをはじめて見たのです。」
と読んでしまったのである。
そのときは誰もつっこみを入れなかったのだけど、次の授業のときクラスの中で思い出し爆笑が起こった。
言いだしたのは間違えた本人。
「『血のり』って、K、死んでないんやん!」
「めっちゃシリアスな場面やのに、空気ぶちこわしや!」
「奥さんもおじょうさんもひっくり返るで。」
「K、めっちゃ軽っ!」
「生き方変えたんちゃう?」
などなど。
確かに、「血のり」って (笑
わたしも一緒になってつっこみたかったけど、まあそこは先生ですから、抑えて抑えて。
いい雰囲気の中、しかし冗談だけで終わらないのがこのクラスのいいところで。
「血がほとばしっとるってことは、Kは刃物か何かで自殺したん?」
とか、
「襖って、二尺開いとった襖のほう? でもそれやったら『私』は気づくから、違うほうの襖か。」
とか。
文章をしっかり読んで、その表現から場面を浮かび上がらせようとしている姿が見られた。
文学ってこういうものだと思う。
読書は一人でするのも良いけど、みんなで読み込んでいくのも楽しいものだ。
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