中島敦の「山月記」、芥川龍之介の「藪の中」、太宰治の「走れメロス」、坂口安吾の「桜の森の満開の下」、森鴎外の「百物語」を、森見登美彦が現代の京都を舞台に置き換えて小説にしたもの。
おもしろいよ、これ。
図書館で原典を借りて(自分で持っているものは本棚から取り出して)、一つずつ、原典を読んでから「新釈~」を読むということをした。
原典は読んだことがあるものも初めて読むものもあったけど、改めてそれらの作品のもつ迫力に興奮した。
体のまん中からじわじわと満たされ、作品に侵食されていくようにさえ感じられるあの感覚は、なかなか味わえるものではない。
それが「新釈~」と合わせれば一気に十編も味わえたのだから、ものすごく得した気分だ。
「山月記」の斎藤秀太郎はなんとも傲慢で、しかし彼の独白からは李徴の「臆病な自尊心」や「尊大な羞恥心」を感じることができる。
しかも、その状況のばかばかしさが、逆にもの哀しささえ湛えているような気もする。
「藪の中」は、原典と同じく一つの出来事を何人かに語らせることによって、真実とは人それぞれに違うものだということを感じさせる。
そのストーリー性といい構成といい、本当に巧みで、まったく違う物語なのに同じものを感じさせるのだからすごい。
「走れメロス」には森見登美彦らしい「友情」が描かれており、なんとも愉快だ。
なるほど、そんな友情も確かに真の友情であろう(笑)と思わせる。
「桜の森の満開の下」は、これまでわたしが読んだ森見作品とは少し違っていた。
詭弁論部ではないけど、彼の作品はいろいろ理屈をこねくり回す登場人物たちが出てきて読者を煙に巻いてくれる。
でもこのお話はなんというか、ストレートで、彼の新たな一面を見た気がして、ますます他の作品も読んでみたいと思った。
「百物語」は、作者自身と思われる「森見」が登場して、それまでの登場人物たちを傍観者として眺めているのがいい。
これらの物語は、原典とだけでなく「夜は短し歩けよ乙女」ともリンクしていて(してるよね!?)、知っている人は「むふふ」となってしまう。
読む人によって好みの作品が分かれるだろうけど、わたしとしては「藪の中」と「走れメロス」がお気に入り。
こんなステキな作品を書き、原典の魅力を再度気づかせてくれた森見さんに感謝、感謝!
最近のコメント