『頭のいい人がしている残業しない技術』 中山祐

自分の働き方を見直さねばならないと思っていた。

時間外勤務は多いし、趣味の時間をしっかり持てないし、スキルも伸びないし、机の上は汚いし…

書店のビジネス本コーナーには残業を減らすためのハウツー本がたくさんあって、いろんなヒントを与えてくれる。

全部が全部活用できるというわけではないけれど、「これ使えるかも!」というのが結構あって、読んでいるだけでも楽しくなる。

とりあえずは夜型から朝型に切り替えてみようということで、今日はいつもより30分ぐらい早く家を出た。

朝は自分のペースで仕事ができるので、なかなか良い時間を持つことができた。

ちょっとずつ実践していったら、そのうち残業がなくなるかも!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『コーチングが人を活かす』 鈴木義幸

人を育てるというのはなにも家庭や学校に限られることではない。

そして、その難しさも場を問わない。

コーチングは最近ブームになっていて学校現場でも研修が行われたりするけど、こういう本来のビジネスの場でのコーチングに触れておくのもおもしろいなと思った(もともとはスポーツが発祥なんでしょうが)。

初心者のわたしでも「すぐに使えそう」と思えるぐらいわかりやすく書かれている。

結局はコミュニケーション技術なんだけど、ものの考え方についても目からうろこという感じで、人との接し方を新しい目で見つめなおすことができる。

部下の育成に行き詰まっている人はぜひご一読を。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『あるキング』 伊坂幸太郎

ある天才バッターの伝記小説。

これまでの伊坂作品とはだいぶ雰囲気が異なります。

伊坂さん自身も読者の反応が気になっているようです(「ダ・ヴィンチ」10月号)が、私は好きです!

大きな力、運命とか宿命とか、あるいは権力とか、そういったものに人間としていかに立ち向かうかということが描かれている伊坂作品が好きだということを以前にも書きました。

今回は、そういった大きな力のまん中で、静かに真正面からそれを受け止める人間(いや、王か)の姿が書かれています。

そして、その周囲でワラワラする人間たちの姿も。

そのワラワラとした感じがどんどん不安感とか不穏さとか増大させていく様子は、現実世界の閉塞感ともつながるなと思ったりもします。

が、そこにもまた大きな力が働いているわけです。

こんな、なんだか救いようのない奇妙な世界で、そこに見出せる救いもまた「大きな力」に決められているとなれば、皮肉以外の何ものでもありません。

「でも最終的には人間だよね」と言いたいなぁ。

なんて、このフィクションを読みながら、読者である私はやっぱり抗う方法を考えているわけで、そういう意味で伊坂さんが私に与える影響はこれまでと変わらず大きいのです。

むしろ、描き方が違うために、別の角度から考えさせられるからいい。

伊坂さんの新たな引き出しをのぞけたこともうれしい。

そして何より、読み物としてとてもおもしろい!!

一つ一つの場面について、この小説を読んだ人と語り合いたいなあと思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『夜の朝顔』 豊島ミホ

人生を最も真剣に考えていたのは、もしかしたら小学生の頃だったかもしれない。

単純に見える生活を送りながら、それでも小さな世界の中で複雑な感情を確かに持っていた。

中でも今もリアルに思い出せるのが、不安感だったり罪悪感だったりする。

だけどそんな言葉だけで表すことのできない微妙な感情もあって、そういうのをこの本は思い出させてくれた。

そして、「ああ今の自分のモトはあそこにあったのかな」なんて思ったりする。

ホント豊島作品にはキュンとさせられます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『宵山万華鏡』 森見登美彦

何が本当で何が嘘なのか。

何が現実で何が非現実なのか。

読めば読むほどわからなくなってきます。

その境界あいまいさは、祭りの夜そのものである気もします。

知らない人がたくさん往来する通りとか、普段は見かけないようなものを売っている露店とか、祭りの喧騒の向こう側にある暗闇とか。

ましてや舞台は京都祇園祭。

何が起こっても不思議じゃありません。

そして、不思議なことと不思議じゃないことがまた絶妙に織り交ぜられながら描かれているのです。

そう、これはまさに万華鏡!

森見さんはやっぱりすばらしい!

おもしろい!

大好き!

関西弁を話す幼い姉妹がかわいかったです。

なんだかほこほこ温かい気持ちになりました。

装丁もとてもステキです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『恋文の技術』 森見登美彦

ただひたすら手紙である小説。

大学院生である守田一郎氏が関係者に宛てて書いた手紙がただ並んでいるだけであるはずなのに、守田一郎氏をとり巻く人々の姿がありありと見えるし、時の進行が感じられるし、そして何より愛が感じられるのです。

手紙というのはなんとすばらしいのでしょう。

相変わらず森見さんの書く男子は冴えず、思わず

「阿呆や」

と何度もつぶやいてしまうほどです。

しかし、人間誰しも阿呆な部分は持っているのです。

完璧な人間なんていません。

完璧さを装おうとして、逆に阿呆さをさらけ出してしまうことだってあります。

人間とは愛おしい生き物です。

そして例に漏れず阿呆なわたしもやっぱり愛おしい生き物なのです。

ここではたと気づきます。

手紙だってきっと完璧さを求める必要はないのでしょう。

手紙に必要なのはただ一つ。

それはこの本を読んでのお楽しみですけれど。

それがあるから、わたしたちは手紙をもらってうれしいのですね。

メールが一般的になりつつある現在ですが、文通というものをしてみたいなあと思いました。

| | コメント (1) | トラックバック (2)

『悼む人』 天童荒太

求めていたものが描かれていた。

それは、自分がこうありたいという姿でもあったし、人にこうあってほしいと願う姿でもあった。

ここ数年、わたしの中にあった自分のありかたについての問いに、一つの答えが示された気がした。

その問いとは、わたしは人の死を純粋に悲しむことができているのだろうかということだ。

人が亡くなったときに流した涙は、はたして故人を思っての涙だったろうか。

残される自分がかわいそうで流す涙ではなかったろうか。

あるいは人の死と自分の死とを重ねて恐がっているだけではなかったろうか。

結局わたしはわたしがかわいいだけではないのだろうか。

自分が浅ましく薄情な人間に思えたし、罪悪感もつのった。

だけどこの小説を読んで、「悼む」ということを知った。

これこそが自分の理想とする姿だ、と思った。

と書いてしまうと、とても傲慢な気がする。

静人と同じようなことはわたしにはできない。

彼と同じような境地に達することは難しいと思う。

でも彼のように、ある人の人生を胸に刻むという「悼み」は自分にもできそうな気がする。

純粋にその人のことを思えそうな気がする。

それはなにも亡くなった人に限られるものではなく、生きて触れ合っている人たちを純粋に思うことにもつながるかもしれない。

死を考えることは、生を考えることにつながるのだから。

人を愛するということはこういうことなのだと、深く心に響いた。

とても、とても良い本でした。

この本にめぐり合えたことを本当にうれしく思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『もの食う人びと』 辺見庸

1992年から94年まで、筆者が世界中を旅し、どこで何が食べられているか、あるいは食べることができないでいるかを、見て、食べて、感じたことを綴った本。

食べるということを通してこんなに世界が見えるものなのかと驚かされた。

それにしても、15年前の日本と今とを比べてみれば、自分個人の身の回りを振り返るだけでもさまざまな科学技術の進歩がみられる。

携帯電話、パソコン、テレビ……

良し悪しは別として、生活は大きく様変わりした。

では世界はどうか。

この本に描かれている国々の名を今でも耳にする。

15年経っても状況が変わっていない国もある。

変わらないまま歴史の中に埋もれていこうとしている事柄もある。

15年、わたしたちは一体何をしてきたのだろう。

時間の流れと、そこで生きる人々について考えさせられた。

今読んでも全く古いと感じないそのことが、ある意味悲しくもあった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『しずかの朝』 小澤征良

母と娘、姉と妹、男と女。

どれが主題なのだろうと考えながら読んでいたのだけど、きっと、そういうもの全部をひっくるめた人と人との関係が描かれているのだと思う。

どれもある意味厄介で不明瞭で面倒くさい。

人間関係というのは、本当にどうしてこうも面倒なのだろう。

でも人は、人を伝って時間や空間を共有できるのもまた事実だ。

“面倒”の裏には、そこにしかない”絆”もある。

人と人とがつながることによって、時間も空間もつながってきたのだと思うと、この“今”がとても愛おしく感じられる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『脳を活かす勉強法』 茂木健一郎

自分がこれまでに「うまくいった」と思ったときは、ここに書かれているのと同じようなことをしていた気がする。

わたしが国語を得意になったそもそもの事の始まりは、本読みの宿題にある。

本読みの宿題は低学年の頃からあって、わたしはかなりまじめに取り組んでいた。

これに関しては母も厳しく、「本読み3回」という宿題が、うちでは「間違えずに本読みできるようにする」であって、1ヵ所でも字が読めなかったりつまったりしたときにはまた最初からやり直し。

「よし、完璧」となったら母の前で披露し、もし間違えたらまたやり直し、というなかなかハードなものであった。

おかげで教室で読む頃にはかなり上手になっていた。

すると、「あかりんごちゃんは本を読むのが上手」と先生からも友達からも言われるようになる。

それがうれしくて、また次の本読みもがんばる。

“上手く”読めるようになるためには、漢字もしっかり覚えなくてはいけないし、ことばの意味や登場人物の心情にまで気を配らないといけない。

作者の考えがわかってくると、文章そのものに興味がわいてきて、別の文章も読んでみたくなる。

というようなことをくり返しているうちに、いつのまにか国語が得意になっていた。

これはわたしの「強化回路」がうまく回っていた例なんだろうなと思う。

今、こういう回路がちょっと足りないかも。

脳を喜ばせないとダメですね。

とても興味深い本でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧