『頭のいい人がしている残業しない技術』 中山祐

自分の働き方を見直さねばならないと思っていた。

時間外勤務は多いし、趣味の時間をしっかり持てないし、スキルも伸びないし、机の上は汚いし…

書店のビジネス本コーナーには残業を減らすためのハウツー本がたくさんあって、いろんなヒントを与えてくれる。

全部が全部活用できるというわけではないけれど、「これ使えるかも!」というのが結構あって、読んでいるだけでも楽しくなる。

とりあえずは夜型から朝型に切り替えてみようということで、今日はいつもより30分ぐらい早く家を出た。

朝は自分のペースで仕事ができるので、なかなか良い時間を持つことができた。

ちょっとずつ実践していったら、そのうち残業がなくなるかも!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『コーチングが人を活かす』 鈴木義幸

人を育てるというのはなにも家庭や学校に限られることではない。

そして、その難しさも場を問わない。

コーチングは最近ブームになっていて学校現場でも研修が行われたりするけど、こういう本来のビジネスの場でのコーチングに触れておくのもおもしろいなと思った(もともとはスポーツが発祥なんでしょうが)。

初心者のわたしでも「すぐに使えそう」と思えるぐらいわかりやすく書かれている。

結局はコミュニケーション技術なんだけど、ものの考え方についても目からうろこという感じで、人との接し方を新しい目で見つめなおすことができる。

部下の育成に行き詰まっている人はぜひご一読を。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『あるキング』 伊坂幸太郎

ある天才バッターの伝記小説。

これまでの伊坂作品とはだいぶ雰囲気が異なります。

伊坂さん自身も読者の反応が気になっているようです(「ダ・ヴィンチ」10月号)が、私は好きです!

大きな力、運命とか宿命とか、あるいは権力とか、そういったものに人間としていかに立ち向かうかということが描かれている伊坂作品が好きだということを以前にも書きました。

今回は、そういった大きな力のまん中で、静かに真正面からそれを受け止める人間(いや、王か)の姿が書かれています。

そして、その周囲でワラワラする人間たちの姿も。

そのワラワラとした感じがどんどん不安感とか不穏さとか増大させていく様子は、現実世界の閉塞感ともつながるなと思ったりもします。

が、そこにもまた大きな力が働いているわけです。

こんな、なんだか救いようのない奇妙な世界で、そこに見出せる救いもまた「大きな力」に決められているとなれば、皮肉以外の何ものでもありません。

「でも最終的には人間だよね」と言いたいなぁ。

なんて、このフィクションを読みながら、読者である私はやっぱり抗う方法を考えているわけで、そういう意味で伊坂さんが私に与える影響はこれまでと変わらず大きいのです。

むしろ、描き方が違うために、別の角度から考えさせられるからいい。

伊坂さんの新たな引き出しをのぞけたこともうれしい。

そして何より、読み物としてとてもおもしろい!!

一つ一つの場面について、この小説を読んだ人と語り合いたいなあと思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『夜の朝顔』 豊島ミホ

人生を最も真剣に考えていたのは、もしかしたら小学生の頃だったかもしれない。

単純に見える生活を送りながら、それでも小さな世界の中で複雑な感情を確かに持っていた。

中でも今もリアルに思い出せるのが、不安感だったり罪悪感だったりする。

だけどそんな言葉だけで表すことのできない微妙な感情もあって、そういうのをこの本は思い出させてくれた。

そして、「ああ今の自分のモトはあそこにあったのかな」なんて思ったりする。

ホント豊島作品にはキュンとさせられます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『宵山万華鏡』 森見登美彦

何が本当で何が嘘なのか。

何が現実で何が非現実なのか。

読めば読むほどわからなくなってきます。

その境界あいまいさは、祭りの夜そのものである気もします。

知らない人がたくさん往来する通りとか、普段は見かけないようなものを売っている露店とか、祭りの喧騒の向こう側にある暗闇とか。

ましてや舞台は京都祇園祭。

何が起こっても不思議じゃありません。

そして、不思議なことと不思議じゃないことがまた絶妙に織り交ぜられながら描かれているのです。

そう、これはまさに万華鏡!

森見さんはやっぱりすばらしい!

おもしろい!

大好き!

関西弁を話す幼い姉妹がかわいかったです。

なんだかほこほこ温かい気持ちになりました。

装丁もとてもステキです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『恋文の技術』 森見登美彦

ただひたすら手紙である小説。

大学院生である守田一郎氏が関係者に宛てて書いた手紙がただ並んでいるだけであるはずなのに、守田一郎氏をとり巻く人々の姿がありありと見えるし、時の進行が感じられるし、そして何より愛が感じられるのです。

手紙というのはなんとすばらしいのでしょう。

相変わらず森見さんの書く男子は冴えず、思わず

「阿呆や」

と何度もつぶやいてしまうほどです。

しかし、人間誰しも阿呆な部分は持っているのです。

完璧な人間なんていません。

完璧さを装おうとして、逆に阿呆さをさらけ出してしまうことだってあります。

人間とは愛おしい生き物です。

そして例に漏れず阿呆なわたしもやっぱり愛おしい生き物なのです。

ここではたと気づきます。

手紙だってきっと完璧さを求める必要はないのでしょう。

手紙に必要なのはただ一つ。

それはこの本を読んでのお楽しみですけれど。

それがあるから、わたしたちは手紙をもらってうれしいのですね。

メールが一般的になりつつある現在ですが、文通というものをしてみたいなあと思いました。

| | コメント (1) | トラックバック (2)

『悼む人』 天童荒太

求めていたものが描かれていた。

それは、自分がこうありたいという姿でもあったし、人にこうあってほしいと願う姿でもあった。

ここ数年、わたしの中にあった自分のありかたについての問いに、一つの答えが示された気がした。

その問いとは、わたしは人の死を純粋に悲しむことができているのだろうかということだ。

人が亡くなったときに流した涙は、はたして故人を思っての涙だったろうか。

残される自分がかわいそうで流す涙ではなかったろうか。

あるいは人の死と自分の死とを重ねて恐がっているだけではなかったろうか。

結局わたしはわたしがかわいいだけではないのだろうか。

自分が浅ましく薄情な人間に思えたし、罪悪感もつのった。

だけどこの小説を読んで、「悼む」ということを知った。

これこそが自分の理想とする姿だ、と思った。

と書いてしまうと、とても傲慢な気がする。

静人と同じようなことはわたしにはできない。

彼と同じような境地に達することは難しいと思う。

でも彼のように、ある人の人生を胸に刻むという「悼み」は自分にもできそうな気がする。

純粋にその人のことを思えそうな気がする。

それはなにも亡くなった人に限られるものではなく、生きて触れ合っている人たちを純粋に思うことにもつながるかもしれない。

死を考えることは、生を考えることにつながるのだから。

人を愛するということはこういうことなのだと、深く心に響いた。

とても、とても良い本でした。

この本にめぐり合えたことを本当にうれしく思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『もの食う人びと』 辺見庸

1992年から94年まで、筆者が世界中を旅し、どこで何が食べられているか、あるいは食べることができないでいるかを、見て、食べて、感じたことを綴った本。

食べるということを通してこんなに世界が見えるものなのかと驚かされた。

それにしても、15年前の日本と今とを比べてみれば、自分個人の身の回りを振り返るだけでもさまざまな科学技術の進歩がみられる。

携帯電話、パソコン、テレビ……

良し悪しは別として、生活は大きく様変わりした。

では世界はどうか。

この本に描かれている国々の名を今でも耳にする。

15年経っても状況が変わっていない国もある。

変わらないまま歴史の中に埋もれていこうとしている事柄もある。

15年、わたしたちは一体何をしてきたのだろう。

時間の流れと、そこで生きる人々について考えさせられた。

今読んでも全く古いと感じないそのことが、ある意味悲しくもあった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『しずかの朝』 小澤征良

母と娘、姉と妹、男と女。

どれが主題なのだろうと考えながら読んでいたのだけど、きっと、そういうもの全部をひっくるめた人と人との関係が描かれているのだと思う。

どれもある意味厄介で不明瞭で面倒くさい。

人間関係というのは、本当にどうしてこうも面倒なのだろう。

でも人は、人を伝って時間や空間を共有できるのもまた事実だ。

“面倒”の裏には、そこにしかない”絆”もある。

人と人とがつながることによって、時間も空間もつながってきたのだと思うと、この“今”がとても愛おしく感じられる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『脳を活かす勉強法』 茂木健一郎

自分がこれまでに「うまくいった」と思ったときは、ここに書かれているのと同じようなことをしていた気がする。

わたしが国語を得意になったそもそもの事の始まりは、本読みの宿題にある。

本読みの宿題は低学年の頃からあって、わたしはかなりまじめに取り組んでいた。

これに関しては母も厳しく、「本読み3回」という宿題が、うちでは「間違えずに本読みできるようにする」であって、1ヵ所でも字が読めなかったりつまったりしたときにはまた最初からやり直し。

「よし、完璧」となったら母の前で披露し、もし間違えたらまたやり直し、というなかなかハードなものであった。

おかげで教室で読む頃にはかなり上手になっていた。

すると、「あかりんごちゃんは本を読むのが上手」と先生からも友達からも言われるようになる。

それがうれしくて、また次の本読みもがんばる。

“上手く”読めるようになるためには、漢字もしっかり覚えなくてはいけないし、ことばの意味や登場人物の心情にまで気を配らないといけない。

作者の考えがわかってくると、文章そのものに興味がわいてきて、別の文章も読んでみたくなる。

というようなことをくり返しているうちに、いつのまにか国語が得意になっていた。

これはわたしの「強化回路」がうまく回っていた例なんだろうなと思う。

今、こういう回路がちょっと足りないかも。

脳を喜ばせないとダメですね。

とても興味深い本でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『脳にいいことだけをやりなさい!』 マーシー・シャイモフ

自己啓発本。

普段こういう類の本はあまり読まないのだけど、帯に茂木さんのコメントがあったことと、ネタになるだろうという思いから、珍しく手にとってみることにしました。

感想は、「これといって目新しいものはないなあ」というものです。

ベストセラー本に失礼でしょうか。

しかし、この本に書かれていることのほとんどはうちの部長が日々言っていることと変わらないし、同僚のO氏は毎日のように「今日も一日ありがとう」と独り言を言っているので、そう感じてしまっても仕方ないのです。

彼らは「幸せの国」の住人だったのですね。

やっぱりすごいです、部長!

そしてO氏。

いつも笑ってゴメン。

本からでなく、周りにいる人たちからこういうことが学べるわたしは幸せだなあと実感しました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『初恋素描帖』 豊島ミホ

ダ・ヴィンチで連載されていたときから読んでいたけど、単行本には書き下ろしもありますよ。

中2の人間関係が描かれていて、時に主観的に、そして時に客観的に物事を眺める未熟な彼らが愛おしく感じられます。

学校が世界の大部分を占めていたあの頃。

単純な生活の中で、でも全然単純じゃない思いを抱えていたあの頃を思い出しちゃう小説です。

にしてもね、ちゃんと中2を切り取っているところがすごいですよね。

20人分。

心も体も成長度合いが全然違う20人を書くって、観察力の為せる業でしょうか。

クラス全員分読みたい!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『花が咲く頃いた君と』 豊島ミホ

花をモチーフとした短編集。

今のこの時を逃したくないという気持ちと、このままここに留まるわけにはいかないという思いと、そんなものとは関係なく流れていく時間とが描かれている。

「サマバケ96」「コスモスと逃亡者」「椿の葉に雪の積もる音がする」「僕と桜と五つの春」の四篇。

とくに「椿の葉に雪の積もる音がする」が好きだった。

自分の経験と、どこまでもどこまでも重なった。

本当は大切だと思っているものを素直に大切だと思えなくなっている自分。

広がった世界でほかにも大切なものを見つけてしまった自分。

子どもでなくなっていくことに罪悪感を感じてしまう自分。

ただただ一定に流れていく時間の中で、通りすぎていくものを眺めていることしかできなかった。

それは今も変わらないかも、だけど。

豊島さんが家族を描いているのは珍しくて、新しい豊島ミホを垣間見た気がした。

最後の場面がとくに良かったです。

もっとこういう作品を読みたいなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『夜明けの縁をさ迷う人々』 小川洋子

夜明けを待ち遠しく思うのは、やっぱり人間が昼の世界に生きる動物だからだろうか。

だけど、夜明け前の闇の中に迷い込んでしまう人だって多いのだと思う。

そういう人々の姿を描いた短編集。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『青年のための読書クラブ』 桜庭一樹

伝統ある女学校、聖マリアナ学園。

良家の子女たちが通う学園において、異形の少女たちが集うのが「読書クラブ」であった。

そこに受け継がれる、学園の裏の歴史を綴った暗黒の読書クラブ誌。

閉鎖的で、倒錯的で、しかしそれゆえ純情である少女たちの、文学と哲学に包まれた物語。

この閉じられた感じはまさに若き日の青春そのものである気がする。

それはまるで一つの甘美な夢を皆で共有しているようなものだ。

しかし一旦醒めるとその薄っぺらさに気づかされる、そういう切なさも書かれている。

ただ、少女たちにとって、その瞬間はまぎれもない真実であり、その真実だけはいつまでも残るのだと思う。

それもまた書かれている…と思うよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『14歳の君へ どう考えどう生きるか』 池田晶子

『14歳からの哲学』を読みやすくエッセイ風にしたもの。

とても、とてもやさしい池田晶子さんの気持ちが伝わってくる。

勉強することや、幸せになることや、生きること死ぬことについて、真剣に丁寧に一緒に考えてくれている。

そして考えることの不思議と大切さを感じさせてくれる。

子どもたちに贈りたい本です。

あ、でも14歳の倍以上のわたしが読んでも、ドキドキしちゃう本です!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『モダンタイムス』 伊坂幸太郎

この小説を読んで、いちばんドキッとするのはわたしたちの世代ではないかなと思った。

今「検索」は生活に定着し、それなしの生活はとても困難なように思える。

しかし、わたしたちは「検索」のなかった時代を知っている。

だから、人々が口にするネット社会の危険性であるとか、現代社会が直面している危機だとか、その深刻さもある程度は理解できるのだ。

でも、もう身についてしまっている。

わたしたちは、その間で揺れる。

そして考える。

システムについて。

自覚しないこと、あるいはできないことの恐さについて。

勇気について。

これまでにもネットをテーマにした文章はいくつか読んできたけれど、それらは外側からの文章であることが多い。

「やばいんだよ」とわかっている人たちの文章だということ。

この小説は、それがフツーである社会のフツーである人の立場から、つまり内側から「なんかやばいことが起きているんじゃねえの」みたいな感じで描かれている。

小説というのはそういうものかもしれないけど、それがあちらこちらに散りばめられていて、あたり前のことのように描かれているからこそ、今を顧みざるを得なくなるというのがおもしろい。

伊坂さんがそういう視点になれるのがすごいです。

(以下、内容に触れるかも)

ハッピーエンドかと聞かれたら、そうであるともないとも言える。

ストレートに表現するなら、「悔しい」だ。

『魔王』も『ゴールデンスランバー』も、そして『モダンタイムス』も、圧倒的な力を前に、考えて、考えて、考えて、行動して、あがいて、得られるものはほんのわずかなものでしかない。

極端な言い方をすれば、ある絶望が描かれている。

わたしたちに世界は変えられない。

それでもあきらめなければなんとかなるかもしれないじゃないか、という流れの物語を読みなれているわたしの感想は、だから「悔しい」。

現実と照らし合わせたとき、ここに描かれていることのほうが真実であるような気がするから。

何もせずに逃げるのではなく、見て見ぬふりをするのではなく、それがまさしく「勇気」を伴うものであることが、余計に悔しい。

この気持ちはどこに持っていけばいいのでしょうか、伊坂さん!

「ダ・ヴィンチ」12月号のインタビューで、作風の変化について伊坂さん自身が述べておられます。

今までのように、最後の最後になって「やられた!」と思わされるような小説ではなかったけれど、「この気持ちはどこに持っていけばいいのでしょうか」と思っている時点で、やっぱり伊坂マジックにかかっているのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『エバーグリーン』 豊島ミホ

わたしはなりたいものになった口だと思うし、誰かを追いかけていきたいと思ったこともないから、彼らとは置かれた状況が違う。

なのに本を閉じた後、余韻の中で涙をこぼしてしまった。

それはたぶん、一つはあの頃を懐かしく愛おしく思う気持ちがあふれてきたから。

そしてもう一つ。

そのあまりの眩しさに目がくらんでしまったから。

眩しいと思ってしまう今の自分は、あの頃とはちがうものになったんだと思った。

後悔とかそういうのではなく、時は移っていくのだなという感慨みたいなもの。

失くすとか、捨てるとか、あきらめるとか、子どもから大人になるとき、そんなことばで語られがちだけど、ちがうよなとこの小説を読んで思う。

彼らが見つけた答えみたいに、もっと大きくて豊かなものなんじゃないだろうか。

大人になるって、現実の中に身をおくって、そう捨てたものでもないな。

それにしても、風景の描写を読んでいるだけで鼻の奥がツンとなるのですよ、豊島作品は。

「あなたはわたしですかっ!」と叫びたくなります。

そう思っている人が全国に何人もいるのでしょうね。

すごいなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『食堂かたつむり』 小川糸

あわただしい日々の中で、わたしにとって食べることは時々義務でしかなくなる。

そういうときの食事は、なんだかとても空虚な感じがする。

食事というのはもっと豊かな心でいただくものなのだ。

そこに含まれるいろんなものを確かめながら。

そして、料理をするというのは実はとても神聖な行いなのかもしれない。

自分を形づくるものなのだから、空っぽな食事ばかりをしていてはいけない。

内側から自分を満たしていく、そんな料理を作り、食べていきたいなと思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『まほろ駅前多田便利軒』 三浦しをん

取り返しのつかない過ちを、わたしたちはいくつもおかす。

その度に、傷つき、傷ついたことによって幸せを逃した気になって、重い後悔をいつまでも引きずる。

過ちをおかさなければこんな思いもせずにすむのだけど、なぜか、どうしても、そんな順調には生きられない。

であるならば、他人とかかわらず、何も求めず求められずに生きる道を選択したらいいのだろうか。

幸せはこぼれていくだけのものでしかなく、わたしたちをそれを守ることしかできないのだろうか。

そうではないのだと、この小説は語っている。

失って、終わり、ではないのだと。

何度も読み直して、かみしめたい小説だと思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『復讐プランナー』 あさのあつこ

いじめに対処するのは、簡単なことじゃない。

ものすごーく客観的に見ることができれば、実は、自分を追いつめるまでもないということがふとわかったりもするのだろうけど、今まさにひどいいじめを受けていて、それを客観的に見るなんていうことは、そう簡単なことではないだろう。

では、どうすればいいのか。

そのヒントが書かれている。

「復讐」ということばが出てくるからもっと陰鬱になるような話かと思っていたら、そうでもなくて、多くの小中学生に読んでほしい本だなと思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『宇宙のみなしご』 森絵都

孤独であるという、そのこと自体は必ずしも悲しいことではないのかもしれない。

最後に与えられた答えに、やさしくなる勇気をもらった気がした。

子どもたちに読んでほしい小説。

感想は短いけど、お気に入りの一冊に入れたいと思うような小説でした。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

『カツラ美容室別室』 山崎ナオコーラ

自分がいて、自分以外の人がいて、その人たちも自分と同じように生きていて、意志を持っていて、そんな人たちと関係を持っている自分がいる。

単純であるはずがない。

だけど、社会はそれを単純化しようとしていて、そこに自分を当てはめようとしては当てはまらないことに戸惑ったりするのだ。

たとえばそう、恋に似て否なるものは確かにあるのに、恋愛という枠に当てはめようとしてみたり。

他人に認められることで、自分という人間に価値を見出そうとしてみたり。

そんな単純ではないのだ。

それぞれが意志を持っている人と、それを含む世界は。

ただ、わたしたちは、複雑な互いを知りながらつながっていくだけ。

そのことについてはとてもシンプルだと思う。

というようなことを考えた小説。

主題は全然違うかも、だけどね。

ちょっと、今の自分にしっくりくる小説でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『風が強く吹いている』 三浦しをん

たった10人で、しかもメンバーのほとんどが素人の10人で箱根駅伝を目指すというお話。

実は、箱根駅伝というものをこれまで好んで観たことはなかった。

わたしは走ることを楽しいと思ったことがあまりなくて、マラソンとか駅伝とかを観ているとなんだか苦しくなってしまうからだ。

スポーツニュースで結果だけ確認して満足していた。

この小説も話題になっていたから読み始めたのであって、実は途中まで読んで長いこと放置していた。

小説だからうまいこといってめでたしめでたしなんだろうなと思ったら読む気がしなくなってしまったのだ。

最近になってなんとなく気が向いて再び読み始めたところ、その気持ちは変わった。

駅伝もこの小説も、結果ではないのだ。

走るということを純粋に追い求めている人たちの純粋な思いがここには書かれている。

ただ速くあることだけが求められるのではない“何か”が走ることにはある。

それは一人きりで向き合っていかなくてはならないものだ。

だけど、同じ箱根を目指す仲間やライバルと、共有することはできる。

そこで交わされるものが、強さになる。

とくに後半、自転車よりも速く走る彼らのスピードにのるように、読むペースも速くなって、自分も走りの中にとりこまれるようだった。

久々に、体の中から熱さが湧き起こってくる感覚をおぼえた。

今度の箱根駅伝はちょっと違った目で観られそうな気がする。

まっすぐな、本当にまっすぐな青春小説。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『正義のミカタ ~I'm a loser~』 本多孝好

高校時代散々いじめられてきた亮太は、大学では注意深く行動しようとしていた。

しかし、信じられないことに高校時代の同級生に大学で再会し、悪夢はくり返されようとしていた。

そんな彼の前に現れたのは…

小さい頃、正義の味方に憧れた。

「地球の平和を守るため」と戦う彼らはカッコよかった。

大人になると、世界はもっと複雑なものに見えてくるから、単純に彼らを称えることができなくなる。

正義とは何だろう。

彼らの言う平和とは誰にとっての平和だろう。

前半は痛快なこの小説は、後半にかけて次第に主人公が社会の不公平さに憤ったり、その不公平さの中に置かれている自分の位置から脱出するための方法に戸惑ったり、自分自身の正義のあり方を自分なりに考えてみたり、とヒーロー物のめでたしめでたしで終わらないのが良かった。

自分が自分であるということは大事だ。

すべてはそこから始まっていくのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『戸村飯店青春100連発』 瀬尾まいこ

大阪という町から浮いてしまう兄と、大阪以外の町のことなんか考えられないぐらい大阪人の弟。

ヘイスケとコウスケは無意識のうちに互いを意識していて、相手の方が優れていて自分は劣っていると思っている。

「自分はこんなもんだ」と思っていたのが、次第に相手のことが見えてくるに従って、自分のことも見つめていくようになる。

兄弟っていうのは、こういうものなのかもしれない。

一緒にいることがあたり前になっていて、相手を一人の人間として見ることはほとんどない。

一人の人間であるということに気づくと、それまで一緒にいた日々とか、他の人が知らなくて自分が知っていることとかが、奇跡的なことに思えてくる。

でもその一瞬あとには、「まあ、兄弟だからフツーか」と思える、そのことがまた不思議だ。

ヘイスケとコウスケの関係と、それぞれを取り巻く人々があたたかくて、青春の孤独なたたかいを支えるのはやっぱり人だなあと思った。

青春はすばらしいよ!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『Re-born はじまりの一歩』

宮下奈都「よろこびの歌」、福田栄一「あの日の二十メートル」、瀬尾まい子「ゴーストライター」、中島京子「コワリョーフの鼻」、平山瑞穂「会ったことがない女」、豊島ミホ「瞬間、金色」、伊坂幸太郎「残り全部バケーション」がおさめられたアンソロジー。

今の自分の、どこが「はじまり」だったのだろう、と考えてみる。

生まれたときとか、入学したときとか、就職したときとか、そういうはじまりではなく、今のわたしを形成している要素が、自分の歴史のどこにあったのか、という「はじまり」。

それはたいてい苦い思い出の中にあるような気がする。

でも、そういえば、そういう「はじまり」からはじめられた物語を、わたしは苦いものとは思っていないということに気がついた。

苦い経験はこれからもたくさんあると思う。

今も苦くて苦くて、顔をしかめてばかりである。

だけど、ここからはじまる物語は、決して悪いものではないだろう。

時には「はじまり」を振り返りながら、今の自分を確かめるのもいいものだ。

好きな作家さん(とくに、瀬尾さん、豊島さん、伊坂さん)の短編がいっぺんに読めるので、お得な感じの1冊だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『鼓笛隊の襲来』 三崎亜記

「日常」とか「常識」というのはよく考えてみるととてもあいまいで、境界線をさがすのは実は難しいのではないかなと思う。

“ある”と思っているところをじっと見つめようとするとぼやけてくるような。

三崎亜記の世界は隠喩の世界であるのだろうけど、わたしは彼の作品によって、ぼんやりした境界線をよりぼんやり、さらに言ってしまえば、そんなもの最初からなかったのだと思わされることに心地よさを感じるし、この世界をそのまま受け入れて、その上で本質を見つめていく作業が好きだ。

どうしても説明がちというか、言葉が多い気がして、個人的な趣味としては表現上気になるところはあるけれども、世界を作り出すという点で、彼の才能は秀逸だと思う。

9篇の中ではとくに「鼓笛隊の襲来」「彼女の痕跡展」がおもしろかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『東京・地震・たんぽぽ』 豊島ミホ

大地震が起こるのだという。

それはわたしたちの日常の中で起こる。

遊園地のように、行って帰って来られる非日常ではなく、昨日の続きの“その日”であり、“その日”の次には明日が続いていく。

わたしはどうするのだろう。

14の短編のおそらくどれとも違うのだと思う。

きっと想像もつかないようなことが起こるのだろう。

そして、それは人の数だけあるにちがいない。

ただそうだとしても、14の話はどれもリアルで、つい自分におきかえて読んでしまった。

追いつめられたとき、自分がとても弱くなるんじゃないかとか、醜くなるんじゃないかとか、いろいろ考えた。

共感する部分が少なからずあってちょっと怖くなったのは、「ぼくのすきなもの」。

劇的な変化というのは、その内容がどうであれわたしたちを興奮させる。

理希のように幼くはないから、わたしにはもっと理性が働くだろうとは思うけれど。

できれば「パーティにしようぜ」のヒカルのようでありたいなあ。

どの話も、終わらない物語だ。

わたしたちは生きていくのだから。

豊島ミホからゆだねられた彼らの行く先を、わたしは自分のものとして考えていきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『四畳半神話大系』 森見登美彦

なんとも人生について考えさせられる小説である。

第一話、第二話、第三話、最終話とあるが、「第四話」ではなく「最終話」であるのは意味のあることで、このへんがこの小説のおもしろいところである。

第三話を読み終わった時点で、この小説は、運命に弄ばれるかわいそうなわたしたちというか、自分で選択し道を切り開いていると思っているわたしたちの卑小さみたいなものを、森見さん独特の四畳半的閉塞感たっぷり(笑)に描いているのだろうと思った。

しかし、これはそう単純な構成の小説ではない。

最終話が良いのである。

ああ、このための3話だったのだと気づく。

もしかしたらわたしたちは運命という大きな流れの中にいるのかもしれない。

しかし、たとえ流されてしまっていたとしても、その流れの中でひとつひとつの出会いや出来事に意味を見出していくのは自分である。

そのことに気づくことは、運命を否定して自分でただがむしゃらに道を作っていくことよりも価値のあることなのかもしれない。

森見テイスト満載なんだけど、さわやかな読後感があった。

森見さんの作品の中でもかなり好きな小説。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『キュア』 田口ランディ

余命宣告を受けた医師が、自身の持つ特別な力や祖母との記憶をベースに「治療」を模索する。

がんや死に対する不安・恐怖が増幅されていって、読んでいるのが辛くなるのだけど、なぜか「最後まで見届けなければ」という気持ちにさせられた。

嫌悪感さえ感じるほどのストレートさに、体がえぐられるような気がする。

心が痛いというよりも、体が痛いという感じ。

「生きる」とはどういうことか。

「死」とは何か。

「体」がここにあるということの意味や世界との関係はどのようなものか。

現代医療の正しさはどこにあるのか。

人々の「生きたい」という気持ちはどこに収められるべきものなのか。

ぐちゃぐちゃにかき回される。

ただ、田口ランディの小説は、気持ち悪いし暗いのだけど、何かが体を貫通するような爽快感みたいなものもわたしは感じてしまう。

それこそ情報が整理されていく気がするからかもしれない。

ある意味、現代医療にあるいはそれに頼りきっている社会に一石を投じるような小説。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『オロロ畑でつかまえて』 荻原浩

村おこしのために立ち上がる村の青年会と、雇われた広告代理店の奮闘を描く。

今どきこれはないでしょうという部分と、実際こんな感じだろうなあというリアルな部分とがあって、小説としておもしろかった。

難しいことは考えずに楽しんで読める。

名前を覚えることの苦手なわたしが、最後の写真のところで青年会のメンバーを全員覚えていたことに自分でも驚いた。

それだけ身近に感じながら読んでいたのだと思う。

青年会メンバーではないけれど、妙なことにやたら詳しかったりこだわりがあったりする村崎が気になるなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『41歳からの哲学』 池田晶子

わたしはまだ41歳ではありません。

でも、41歳を想像してみないこともない。

筆者の池田さんの「死」や「人生」のとらえ方は、7割ぐらいはふむふむとうなずくことができるけれども、あとの3割ぐらいはなかなか理解しがたい。

わたしは彼女ほど達観できているわけでなく、やっぱり「死」は怖いし、人生をもっと物質的にとらえているのだろうと思う。

だからたぶん教師なんていう仕事がとりあえずできている。

世界があって自分があるのではなく、自分があって世界がある。

基本的にわたしはそう思っている。

だけど、実際問題として組織の中に組み込まれ、そこで生かされていることも事実であり、このことが理解できないと、「考える」という営みもできなくなってしまう。

だからわたしたちはこの世界で物質的に生きていく術を教える。

ああそうか、この二つのバランスが大事なのだ。

自分の立ち位置を見定めて、そこから世界を見る。

自分が見る世界の中の自分の位置をまた見る。

そういう視点に慣れてから「死」について考えたら、もう少し筆者の考え方に寄り添えるかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『きつねのはなし』 森見登美彦

いつも見ている風景が、どこかいつもと違って見える。

時々そんなことがある。

それは、時間帯が違うからだったり、天気が違うからだったり、心境が違うからだったり、いろんな理由があるのだろう。

だけどごく稀に、そういうものを差し引いて、ふとした瞬間に「あれ?」と思うことがある。

そんなときは「気のせいだったのだな」でまた日常に戻る。

京都を舞台としたこの小説は、その「あれ?」と「日常」の境界があいまいだ。

登場人物たちは京都の街のどこに続いているか定かでない狭い路地に迷い込み、それを日常と思って過ごしているようだ。

間違いなく現代の話であるはずなのに、違う時間軸の上にいるような気もしてくる。

そういう意味では現実と妄想とが入り乱れる他の森見作品と同じかもしれないけど、雰囲気はまったく違う。

『新釈 走れメロス』の中にはこんな雰囲気の作品もあったな。

不思議で、ちょっと怖い感じ。

「きつねのはなし」「果実の中の龍」「魔」「水神」の四編からなる短編集。

一編一編もおもしろいのだけど、四編すべて読むと、その繋がるような繋がらないようなあいまいさがまたおもしろくて、読者であるわたしも狭い路地に引きずり込まれ、そこから抜け出せなくなっているような気がしてくる。

ああ、もう、森見さん、どうしてこんなにおもしろいのですか!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『14歳からの哲学 考えるための教科書』 池田晶子

生徒が持ってきたある大学の入試問題がきっかけでこの本を知った。

「自分」はどうしてここにいるのか。

「自分」と世界はどうつながっているのか。

そもそも「自分」とは何なのか。

そんなことを考えるのはとてもおもしろい。

とくに10代のころは(20代前半もかな)、不安定な自分をじっと見つめているうちに、どんどん不思議が広がっていってその不思議を考えているうちに世界も広がっていくのがまた不思議だった。

どこまでこの世界は続いていくのだろう、と。

あまりに果てが見えないから、「考える」というのは時に面倒くさくて途中でやめてしまうこともある。

でも本当に自分のためを思うなら、決して考えることをやめてはいけない。

一緒に考えていこう。

この本はそうやって導いてくれる。

答えを与えてくれるわけではないけど、だからこそ価値のある本だ。

10代のころに読めたらとても幸せ。

自分が10代のときに読んでいたらたぶん書かれていることの半分も理解できなかっただろうけど(今だって全部は理解できていないのだ)、でも、こういう世界のとらえ方があるのだと知っていることはとても幸せなことだと思う。

かといって、こういう類(哲学)の本を10代のころに読まなかったことを後悔しているかというとそういうわけでもなくて、池田さんが言うように、読んでいても読んでいなくても「考える」のは自分なのだから、自分なりに考えてきたことはとても良かったと思う。

そして今この時期に読むことにもまた価値はあるだろう。

「世界」は自分が「ある」と認めているから「ある」ものだとわたしも思う。

だからこそ、こうして他者の認めている「世界」と触れたと思えるのは本当に奇跡的でうれしいことだ。(こう考えるのもちょっと矛盾があるような気もするけどね。でもその矛盾が謎で、またおもしろい)

先に進む勇気を与えてもらった気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『世界を信じるためのメソッド ぼくらの時代のメディア・リテラシー』 森達也

『図書館戦争』シリーズを読んで、検閲について話していたら司書さんに薦められた。

理論社の「よりみちパン!セ」シリーズの1冊。

字は大きいし、ふりがなはついているし、筆者の語り口はやわらかいしで、とても読みやすい。

わたしたちの「世界観」がどうやって作られるか、いかに世界が「多面的」であるかが、「テレビメディアの人間」である筆者によってわかりやすく書かれていて、メディアリテラシーの重要性を考えさせられる。

あんまり書くと内容に触れてしまうのでこのへんで。

ぜひとも中高生に読んでもらって、メディアをいい方向に活用し、明るい未来を作っていってほしいものだ。

あ、もちろんわたしたちもそれを支えていかないとね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『鹿男あをによし』 万城目学

古都というのは魅力的だ。

我々現代人が知り得ない秘密がどっかりと腰を据えているような気がする。

中でも奈良は考古学の領域だ。

同じ人間が作ったとは思えないようなものがあちらこちらにあって、専門外のわたしにはそれらの意味はさっぱりわからない。

でも、その一つ一つに何か特別な力があるんじゃないだろうかとか、大きな仕掛けの部品なんじゃないだろうかとか、そんなことを考えるのはとてもおもしろい。

だからこういう小説は好きだ。

しかも、ちょっとずつはずしていてあまりのめり込んでいかないようなところが、大人になってしまったわたしには読みやすかった。

「先生」が神経衰弱だとか、藤原君のかりんとうだとか、鹿がぼろぼろする丸い糞だとか。

高校生の頃、友達と近鉄で奈良に寺めぐりに行ったことを思い出した。

どんな高校生(笑

どーんと腹にくる感じが心地よかったのを覚えている。

奈良公園には鹿もいたな。

鹿のテリトリーにお邪魔している気がして、鹿を横目に見ながらひやひやというか、こそこそしていたような。

懐かしい。

懐かしいといえば、剣道の場面も緊迫感があって楽しかった。

不思議と現実の距離が近くて存在感もある、そんな奈良を描いた小説。

鹿がかなりいいキャラです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『図書館戦争』シリーズ 有川浩

『図書館戦争』『図書館内乱』『図書館危機』『図書館革命』、シリーズ全作読み終わりました。

1作目を読んでからしばらく間があいていたのだけど、最終巻が出て少ししてから「最後まで読んだ方がいい」という生徒のことば(しかも2人から)に従って一気に読んだ。

おおざっぱに言えば、人権擁護を盾として本を狩るメディア良化委員会と、表現の自由を守るためそれに対抗する図書館との戦いをベースに、図書隊に所属する主人公が成長していくお話。

そして、ラブコメ。

あとがきで公言しているように、作者はきっとこういうベタなラブコメが好きなんだろうけど、この軽いノリに包まれて、実はものすごく重い問題が描かれている。

それぞれの巻で表現の自由をめぐる事件が起こり、その一つ一つに「さあ、本質はどこにある?」と問いかけられているようだった。

主人公が図書館側の人間なので、もちろん図書館寄りに書かれている。

ただ、図書館が図書隊を持つ歪みなんかも指摘されていて、単純な勧善懲悪モノでないのがおもしろい。

物事はさまざまな側面を持っているものなのである。

最終巻は、立法や行政を監督する位置にある「憲法」のことを見つめ直す機会となった。

この巻で描かれているのは、「公共の福祉」と「個人の表現の自由」の問題であって、改憲について書かれているわけではない。

でも、世論の高まりのないまま政治家が憲法を変えようとすることの危険性についても考えさせられた。

拡大解釈ってだけでも恐いのに、誰かの意志によって憲法そのものを変えてしまうというのはほんとうに恐いと思う。

図書館という舞台を頭の中でちょっと変えてみると、現代のいろんな問題とぶつかる。

読み終わってからそうやって現実と照らし合わせてみたくなる小説だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『しずく』 西加奈子

たとえば、スーパーの文房具コーナーに並んでいる5色10枚入りのクリアファイルのセット。

変な色をしている。

なんともいえないくすんだ色で、こんなの買って大丈夫だろうかなんて思うのだけど、開けてみると、一枚一枚はとてもきれいなピンクだったり黄色だったりする。

感情というのも似たようなものだと思うのだ。

とくに「辛いなあ」とか「苦しいなあ」という気持ちは、気がついたときにはものすごい存在感で心の中にあって、それはとても変な色をしている。

その変な色のものがいつ心の中に入り込んだのかわからなくて、取り除く方法もさっぱりわからない。

だけど、実はそれは何枚ものいろんな色の出来事や感情が重なってできているのであって、その一枚一枚に注目することができたら、そんなに悲観すべきものではないのかもしれない。

なんてことを考えた。

うーん、抽象的な感想だなあ。

6編のお話は、その一枚一枚を剥いでいく話だったり、重ねていく話だったりする。

大人の女性が描かれる小説は苦手なことが多いのだけど、作者が同年代だからか共感できる部分が多かったし、さっぱりした文章が気持ちよかった。

とくに「木蓮」と「しずく」が好き。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『リリイの籠』 豊島ミホ

女の子同士というのは面倒くさいものだ。

わたしはずっと共学だったし、中学のときも高校のときも付き合っている友達が大人で、グループ間のいざこざからは距離をおけていたから、それほどねちっこさや居心地の悪さを経験しているわけではない。

それでも、自分の中ではいろいろあった。

本音を隠して当たり障りのない関係を維持したり、一人にならないための「友達」を作ったり、自分の中で順序をつけて並べたり。

わたしはそういうところが強かった。

自分自身が周りからどう見られるかはもちろん、自分がその友達と付き合っていることをどう見られるかということもとても気になっていた。

変な子と付き合うことで変な風に見られるのはいやだ、と思っていた。

その一方で、誰かに嫌われるのも怖いから、周りの目がないところでは誰にでもいい顔をしていた。

常に優越感を持っていられるような位置に自分を置いていた。

よくもまあ自分勝手な友達付き合いをしていたものだなあと思う。

そんなわたしに、友達もよく付き合ってくれていたなあと思う。

本当に、友達には恵まれていた。

今になってようやくわかった。

そんなわたしだから、この小説のどの主人公にも自分をあてはめてしまって、ダイレクトすぎて困った。

自分の日記を読んでいるみたいで恥ずかしい。

ただ、こういう時期はそれなりに必要なもので、ちゃんとその道を踏んで、今こうやって冷静に当時を振り返ることができるのは、まあ、なんというか、悪いことではないなと思う。

全然客観的に読むことができない7編のうち、とくに「忘れないでね」と「やさしい人」はいろいろ思い当たる節もあって平静ではいられない話だった。

平易な文章で、こんなに思い出をつついてくる豊島ミホはやっぱりいい。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

『クマの名前は日曜日』 アクセル・ハッケ作 ミヒャエル・ゾーヴァ絵 丘沢静也訳

ぬいぐるみをかわいがった時期はわたしにもある。

大きな青い(ペンギンだったかな?)ぬいぐるみと小さなピンクのぬいぐるみ。

青はわたしので、ピンクは妹のだった。

わたしはとてもそのぬいぐるみが好きでかわいがっていたけど、果たしてあの頃ぬいぐるみが話しかけてくれるかもなんてこと、真剣に思っていたことがあっただろうか。

まじめに話しかけていたりしたことがあっただろうか。

あったような気もするし、なかったような気もする。

いつからかぬいぐるみはモノとなり、一緒にふとんに入ることもなくなり、次第に置物化していった。

極端な言い方だけど、もしかしたら話しかけても話しかけても返してもらえないことに絶望したのかもしれない。

たいていの子はそうやってあきらめて大人になっていくのだろうけど、そういうふうに大人になってしまったわたしたちに夢を持たせてくれるお話だと思う。

ぬいぐるみにはぬいぐるみの事情とか心遣いとか気持ちがあったとしたらそれはとても愉快だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『センセイの鞄』 川上弘美

恋愛小説は苦手なのです。

恋愛をメインに描いている作品を読んでいると、だんだん世界が閉じられていく気がするから苦手なのです。

恋愛至上主義に断固反対のわたしは(笑)、それでだけでいっぱいの世界には住めないのである。

ツキコさんとセンセイの関係はそう嫌なものではなく、味わい深いものではある。

まあ、今のわたしには共感はしづらいかな。

小島孝に対するツキコさんの気持ちはわかる気がしたけれども。

ツキコさんの言葉を借りるなら「いまだにきちんとした『大人』になっていない」のかもしれない。

この作品を好きだという人がわたしの周りに何人かいて、薦められたりもした(高校生に)ものだから読んでみたけど、2008年1月14日時点のわたしには無理みたいだ。

みんな大人だなあ。

ただ文章の雰囲気は好きで、なんとなく梨木香歩の『家守綺譚』を思い出した。

内容は全然違います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『ゴールデンスランバー』 伊坂幸太郎

首相暗殺の濡れ衣を着せられた男の話。

伊坂幸太郎の小説は娯楽だ。

「伊坂的」といわれる構成も、伏線も、おしゃれな会話も、魅力的な登場人物も、どれもステキだ。

会話が同じ文字数でなされていたり、第四部「事件」の前の第三部に「事件から二十年後」が置かれていたりするのも、「伊坂さんだねぇ」という感じでいい。

しかしそれ以上に、わたしは伊坂作品の根底にいつもある“不条理”が気になって仕方がなく、その不条理への対抗策を模索しているような伊坂作品が好きである。

この小説の主人公、青柳雅春も「逃げる」という方法で“不条理”に正面から立ち向かっている。

圧倒的な力を前にして、等身大の人物がもがく。

そして、苦しい彼を支えるものの一つが、学生時代の仲間とその思い出だ。

取り戻せない時間、引き返せない場所。

THE BEATLESのアルバム「ABBEY ROAD」に乗せられ、彼の脳裏に浮かぶ昔の光景は、現状が現状なだけになんだかもの哀しい感じがするけれど、仲間と共に過ごした時間が、青柳雅春を支える。

時間というのは、人とのかかわりというのは、ちゃんとわたしたちの中に積み重ねられていく、そういうものなのだ。

そこら辺りを書いている伊坂幸太郎がやっぱり好きだなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『少女七竈と七人の可愛そうな大人』 桜庭一樹

「成長」とは「失うこと」でもある。

または「棄てること」といえるかもしれない。

少女は母の姿を見て育つ。

そしてある日突然、ずっと追いかけてきた背中が、いつのまにか見下ろすものになっていることに気づく。

その時初めて母は母という生き物ではなく、一人の人間であったということに気づくのだ。

それは母親を失うことでもあると思うし、少女が大人へと成長することであるとも思う。

七竈はさまざまなものを失うけれど、彼女は生まれ変わり、描かれていない未来において、きっといろいろな人と新たな関係を築いていくはずだ。

それは複雑な環境にあった七竈に限ったことではなく、フツーに生活しているわたしたちだってそうなのだろうと思う。

こういう描き方があったのかとちょっと驚いた。

実はドロドロしたお話なのに詩的に感じるのは、七竈や雪風のキャラクターもあるけれど、風景も含めた彼らの繊細さの描写が丁寧だからだと思う。

装丁も、このもの哀しいお話にぴったりです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『ワーキングプア 日本を蝕む病』 NHKスペシャル『ワーキングプア』取材班・編

「一生懸命やることが大事」と生徒に言っている。

でも、現実は複雑だ。

一日に何億という金を動かす人がいる。

景気は上向いてきていて、高校生の求人も昨年今年ととてもいい。

路上生活者やニートと呼ばれる若者に対して、正直「努力が足りない」という気持ちが多少あった。

「金がない、金がない」と言っている人たちのほとんどは計画性がない人たちだろうという気持ちもあった。

しかし事態はそんな単純なものではなく、働きたいのに働けない人、働いても働いても苦しい人が日本にはたくさんいることを知った。

全給与所得者の5人に1人は年収200万円以下だという。

進路指導をしていて、生徒の中にはフリーターという選択をする者もいる。

時給800円のアルバイトを一日8時間、365日休みなしで働いたとして計算してみた。

233万6千円。

高校生にしてみたら、これだけあれば十分だと思うのかもしれない。

「しばらくアルバイトをしながら自分のやりたいことをみつける」

中にはそれでうまくいく人もいるのだろうけど、この本を読んだら怖くてそんな選択はできないだろうと思う。

この本に出てくる若者、女性、老人、子ども、地方に住む人々、中小企業の経営者たちは氷山の一角だ。

水面下にどれだけのワーキングプアがいるのか。

もう何年も年間の自殺者が3万人を超えている。

これらの問題がつながっていることは間違いない。

どこかでこの悪循環を断たなければならない。

問題は大きくて、根深くて、何をしたらいいのか途方にくれてしまう。

だけどまずはこの現実を伝えることから始めたいと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『真夜中のマーチ』 奥田英朗

最初の数ページを読んで、「こういうヤツ、嫌いなんだよなあ」と読む手が止まった。

ずっと本棚に眠っていたのだけどある日ふと読む気になって、「しゃーない、ヨコケンの嫌なところには目をつむろう」と思ってからははやかった。

第一章ヨコケン、第二章ミタゾウ、第三章クロチェと視点が変わっていくのが良くて、あんなに嫌いだったヨコケンも、ミタゾウやクロチェの視点を借りるとなんだかかわいく思えてくるから不思議だ。

成功したかと思えば邪魔が入り、今度こそと思っても邪魔が入る。

一体結末はどうなるのかとはやる気持ちを、また邪魔が入ってスタート地点に戻される。

現金強奪計画が持ち上がってからは息もつかせぬ展開で、だんだん加速していく感じのストーリーが良かった。

偶然出会った25歳の三人のまさに青春小説。

誰かと何かを計画し、それに向かって突っ走るのはとても気持ちいいもんだろうと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『有頂天家族』 森見登美彦

おもしろかったぁ!!

森見氏のブログで「毛深い子」と言われていたこの小説。

狸と天狗と人間が京都の街で入り乱れる。

読み始めたときは、「ああ、森見氏らしい阿呆加減がたまらんなあ」などとのんびり構えていたのだけど、天狗に攫われた弁天、天狗としての威厳を失ってしまった先生、偉大なる父の跡を継ぐために空回りする長兄、鍋にされてしまった父の最期の言葉を思い出そうと井の中の蛙として過ごす次兄などなど、個人(個天狗、個狸)の姿が浮き彫りになってくる中で、それぞれが持つ哀しみが心を打った。

とくに第五章を読んでいるときは、涙を拭くためと鼻をかむためのティッシュが手放せなかった。

「わたしはなぜ森見氏の小説で泣けてしまうのだろう」と不思議だった。

森見登美彦なのに!

わたしは彼の、馬鹿馬鹿しく、かわいらしく、面白おかしい物語に魅かれていたのではなかったのか?

しかしよくよく思い返してみると、その後ろにはいつも人間の哀しさみたいなものがへばりついていたようにも思う。

トップランナーのゲストで出演したとき彼がこんなふうなことを語っていた。

「『太陽の塔』を書く前は、たとえば若者の悩みなどを書くのに正攻法でいって、結局それに飲み込まれてしまっていた。でも、『太陽の塔』ではいったん突き放して、客観的に見て、それに溺れないようにお話を作っていった。自分の書こうとすることにあまり吸い寄せられないよう距離をとるために、笑いというのは大事だということが『太陽の塔』を書くことでようやくわかった」

それがこの『有頂天家族』にも流れていて、「阿呆の血のしからしむるところ」の笑いの裏に、森見氏の書きたいことがあるのだろう。

やはり、森見登美彦はいい!

だんだん面白くなってきているのがいい!!

続編も出るそうなので楽しみである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『映画篇』 金城一紀

映画をモチーフとした短編集。

金城一紀の作品にはかっこいい登場人物たちが出てくる。

実際に自分の生活の中にいたら思わず眉をひそめてしまいそうな人もいる。

正義のためとはいえ、暴力をふるったり法律を犯したりするのはあまり好きではない。

でも、物語だからこそ許せるというか、「やっつけちゃえ!」と応援したくなるのだ。

そして、そんな彼らが妙なところで知的だったりするのも魅力の一つだと思う。

本を読み、映画をみる。

会話の中に、彼らが本や映画から吸収して自分の形にした想いが表れる。

『映画篇』は1冊まるごとそんな感じで、登場人物はいろいろだけど、みんな映画を愛していてそれを生活の一部にして生きているのが素敵だった。

そして、彼らの誰も自覚していないけど、やっぱり彼らはヒーローで、かっこよくて憧れてしまうのだ。

映画のヒーローをみているヒーローをわたしが小説で読んでいる、というのかな。

ちょっとおもしろい感覚だった。

5篇の中では「愛の泉」がいちばん好き。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『流れ星が消えないうちに』 橋本紡

恋愛小説は苦手なのです。

うじうじしているし、まどろっこしいし、恥ずかしくなるし。

でもまあなんとか読めたのは、恋人を亡くして玄関でしか寝られなくなった奈緒子や、結果的に親友から恋人を奪った形になっている巧が、なかなか受け入れられない現実を受け入れていこうとする姿が丁寧に描かれていたからだと思う。

2人(あるいは3人)だけの世界ではなくて、父親や山崎先輩のエピソードが、わたしたちはいろんなものの間で生きているんだということを語っていて良かった。

とくに山崎先輩のボクシングの場面に書かれていた、一つの勝敗が決しても、別の勝負が始まっているというところは、いいなあと思った。

現実を受け入れるというのは、時間の流れを受け入れることだ。

それは、次々にいろんな方向からやってくる出来事と対峙していくことだ。

一つの出来事に立ち止まってしまうこともある。

でも、生きている限りそれだけに向き合っているわけにはいかなくなって、新たな局面に立ち向かっていくことになるのだ。

立ち止まったときに支えてくれるもの、それは人であったり思い出であったりするのだけど、そういうものを大事にしていけたらなあと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『神田川デイズ』 豊島ミホ

大学生が主人公の6編の物語。

大学っていうのは特別な場所だった。

わたしは彼らほど悩んでもいないし行き詰まってもいない。

友達もすぐできたし、勉強もそれなりに楽しかったし、バイトでいい経験もしたし、就職活動にもそれほど苦労しなかった。

それでも、当時やりたいことがあるのに足を踏み出せない自分にイライラしたり、適当に見切って努力しない自分を蔑んだりしたこともあったのだ。

自分は特別な人間だと思い込んで、言い聞かせて、それだけだった。

自分の生き方について、もっといろんな決断を下すべきだったのだと思う。

でも怖くて、すべてをあいまいにやりすごしてしまった。

唯一思い切ったのが、就職活動をやめて教員採用試験一本に絞ったという決断だけだったと思う。

結果たまたまうまくいったからそれほど後悔はないけれど、それでもこの本を読んで今大学生がうらやましく思える。

「アホみたいなプライドとツユダクの自意識」にもっとどっぷり浸かって、抜け出すのにあがいてみたかった。

まあ、今だから言えることだろうけど。

一つの話を読むたびに「豊島ミホってスゲー!」と声に出して言っていた。

人によっていろんな感情があったり、自分の中にもいろんな感情があったりってことはもちろん知っている。

だけど、それに触れて「あ、今触っている」と自覚できることはあんまりない。

のみこまれたり、包まれたりということはあるけど、「触る」というのは意外に難しいことだと思うのだ。

わたしの勝手なイメージでは、豊島ミホはそういう感情にペタペタ触って「フムフム」とか言いながら感触を確かめ、それを紙の上に表現していっているような感じがする。

それぐらい丁寧だし、本の中にいくつも自分の感情を発見できる。

もう、これから読み漁りますよ、豊島ミホ!

ちなみにわたしのお気に入りは「いちごに朝露、映るは空」と「雨にとびこめ」。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『ミーナの行進』 小川洋子

朋子が1年間預けられることになったミーナの家はそれはもう立派なもので、夢のような毎日だった。

そこに住む人々は、屋敷に守られていた。

言い方をかえれば、屋敷でしか生きられない人たちだったのだと思う。

ミーナは学校にも通っていたけど、それだってポチ子に守られていた。

季節は屋敷の中で流れ、喜怒哀楽も屋敷の中にあった。

大人たちはそのことに気づきながらも見て見ぬふりをしていた。

そこでしか生きられないことを知っていたから。

龍一さんは子ども部屋を出た。

ミーナは? 朋子は?

大人になるというのはそれを自覚し、そこから脱却することだったのだろう。

その一歩一歩の足跡がとても丁寧に刻まれている小説だと思った。

1972年に中学1年生だった朋子はわたしよりちょっとお姉さんだけど、時代としてはそれほど変わらない。

フレッシーや乳ボーロにはなぜかわたしも懐かしさを覚えるし、バレーボールに夢中になったり、流星群に期待したりする気持ちもとてもよくわかる。

なんでもないことだけど、こういうものなくしてわたしたちは大人になれない。

ひとつひとつの出来事はこの地上で起こったただ一つの事実でしかない。

でも、その時心の中をいっぱいにした想いは人それぞれで、とても貴重なものだ。

光線浴室のあたたかい光やマッチ箱の物語は、もの悲しささえたたえながらわたしにいろんなことを思い出させてくれた。

小川洋子の表現はとても丁寧で、もっと言うととてもきれいで、ミーナのように箱に入れてベッドの下にそっと隠して大事にとっておきたいような気持ちになった。

読む前よりも本が重く感じるような1冊でした。

寺田順三さんの挿画もとてもステキです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『天国の本屋』 松久淳+田中渉

天国の本屋でアルバイトをすることになってしまった青年。

これといって突出したものを持つでもなく、やりたいこともないままなんとなく毎日を過ごしてきた青年、というのはなんだか自分にもちょっと当てはまるような気がして親近感を覚えた。

でも、何もできない人間というのはわたしは存在しないと思う。

自分で気づいていないだけ、あるいは自分で遠ざけているだけで、本当は誰にでもそこにいる意味というか価値というか、そこにいる当然さみたいなものがあると思うのだ。

だから、こういうお話は基本的に好き。

しかも、「朗読」が重視されているではないですか。

わたしは朗読には力があると思っているので、その点も気に入った。

とんとん拍子すぎる感も否めないけど、だからこそふだん読書をしていない人でも読みやすいんじゃないかなと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『時をかける少女』 筒井康隆

なかなか時代を感じる文章で多少の違和感は覚えるけれど(図書館で借りた文庫は、昭和51年初版だった。わたしの生まれた年じゃないか! しかも220円!)、やはり魅力的な作品だなあと思う。

中学、高校ぐらいで読んだらもっと興奮しただろうなあ。

有名なこの作品を、最初から最後までしっかりと読んだのは実は今回が初めてで、映像化されたものもまともに見たことがなかったので純粋におもしろかった。

読者の心をくすぐるというか、期待を裏切らない展開というか、現代風に言うならば「萌え」のポイントをしっかり押さえているなあと思う。

テレポーテーションとか、タイム・リープとか、微妙な男女関係とか、そしてなによりラベンダーの香り!

心惹かれずにおれますか!?

今の若者に読ませようと思ったら、多少設定を変えなくてはいけないだろうけど。

まずもって男女のあり方が全然違う…

時代設定のない作品だからこその違和感というものがあることを知った。

そう考えると、普遍的な小説というのは本当に難しいのだなあと思う。

まあ、そういうものを差し引いてもおもしろい作品でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『どうぶつたちへのレクイエム』 児玉小枝

動物収容施設で死を待つ動物たちの写真集。

生徒が貸してくれた。

正直、わたしはあまり動物に関心がなくて、自分でも冷たいなあと思うことがよくある。

生徒が貸してくれたのは嬉しかったけど、なかなか本を開ける気にもならなかった。

小学生の頃、友達の家で生まれた猫をもらって飼ったことがある。

母はとても嫌がっていたけど、母親どうしも友達で断りきれなかったのだ。

飼い始めてからは、どうしてあんなに嫌がっていたのだろうと思うほど、母はその猫をかわいがった。

もちろんわたしもかわいがっていて、冬は朝方ふとんにもぐりこんでくる猫とくっついて寝るのがとても好きだった。

その猫は、ある日突然交通事故で死んでしまった。

いちばん世話をしていた母は、悲しみを隠すように黙り込んでしまって、わたしは猫をかわいそうに思うのと同時に、母に悪いことをしたと思った。

あんなに嫌がっていたのはこれだったんだ、無理を言って飼ったりしなければ母をこんな思いにさせずにすんだのに…

それまでもそれほど積極的に動物と関わっていたわけではないけど、ますます関わらなくなって、わたしの視界に動物が入ってこなくなった。

わたしにとって大事なのは人間で、あとは「それ以外」とひとくくりにして割り切ってしまったのだ。

この写真集に写っている動物たちは、人間のエゴによって見捨てられたものたちだ。

そのことに憤りを感じるし、動物たちをかわいそうだと思う。

だけど、じゃあわたしはどうだろう?

今は自分の気持ちを自覚して動物を飼わないようにしている。

でも、何かの拍子に飼うようなことになって、扱いに困ったら、わたしはためらわずに動物を見捨てるんじゃないだろうか。

そういう仮定の未来を想像して、わたしは自分が怖くなる。

命を、確かめながら生きていかなくちゃならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『くちぶえ番長』 重松清

「番長」という存在は、わたしが小学生の頃すでにもういなかった。

両親から「昔はこうだった」というような話をよく聞いたけど、なんでそんな乱暴者が頼りにされていて好かれているんだろう、ととても不思議だった。

夢は番長になることだと言った真琴に、読んでいたわたしも「何言ってんだろう」と思ったし、どちらかというと自分を守ろうと臆病になるツヨシのほうに共感した。

でもやっぱり、まっすぐで、悪いことは悪いと言い切ってしまえる真琴には強く魅かれてしまう。

何が正しいのかわからなくなっている人は多い。

いや、正しいことが何なのかはわかっているけど、いろんなしがらみの中でそれに従えない人が多いと言ったほうがいいのかもしれない。

それは何も今に始まったことではなくて、ずっと昔からそうなのだろう。

「番長」は手段は乱暴だけど、自分の中にちゃんとルールがあって、それに従っているからみんなの憧れとなったのかもしれない。

今はその手段も封じられて、ただ悪いことを悪いと言うための武器がなくなってしまった。

わたしはそれが悪いことだとは思わない。

ほかにも手段はあるだろうから。

でも、その手段ってやつを大人たち自身がちゃんと使いこなせていないし、変な使い方をしていることもある。

それに、子どもたちは幼く、時に残酷だから、別の武器を生み出して、しかも今度は見えにくいやり方で変な方向で自己を主張しているんじゃないかという不安もある。

真琴のような番長だったら会ってみたかったなあと思う。

小学生ぐらいの子たちに読んでほしい小説です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『羊の宇宙』 夢枕獏 作  たむらしげる 絵

この世界が何でできているのか、宇宙はどこまで続いているのか、どうして同じ時間を長いと感じたり短いと感じたりするのか……。

そんなことを考えるのはとても楽しい。

物理学という学問上ではある程度の答えは出ているのかもしれないけど、難しい公式や計算は置いておいて、カザフ族の少年のように自分で真理を見出していくのはとてもおもしろい作業だと思う。

そうして自分なりの答えをみつけたときには小躍りしたくなるほどうれしくなる。

高校生のときだっただろうか、存在について考えたことがある。

たとえばわたしは今ここに存在していると自分では思っているけど、本当にそうなのだろうか?

ただ単に、わたしがそう思い込んでいるだけなんじゃないだろうか?

他人と関わっているときは、他者を通して自分という存在を確認できる。

でも、自分しかいないとき、そして、たった1秒でも、世界中の誰もわたしのことを考えていない時間があったとして、それは存在していると言えるのだろうか?

少年のように石をたとえに使うなら、そこにある石をわたしが認識したときに、石はわたしの世界で存在を始める、ということだ。

なんてことを、夜道を自転車をこぎながら考えていたことを思い出した。

自分でもドキドキしてきて、「す、すごいことに気づいてしまった!」と思ったものだ。

実は物理学者たちもそういうところからのスタートなんだろうなあ。

想像を無限に膨らませて、それを証明していくというのはとても夢のあることではないか。

少年の語る物質の話と、この宇宙で一番速いものの話がステキだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『キッドナップ・ツアー』角田光代

夏休み初日、二か月ぐらい前から家に帰ってこなくなったおとうさんがいきなり目の前に現れて、私はユウカイされた。

その日から始まった、おとうさんとの逃走生活。

お互いのことをよく知らない父娘が、いきなり二人だけで生活をすることになるのだから、いろんな思いが生まれてきて、それが二人の距離を縮めたり、ハルを成長させたりする。

というのは、よくある話で新しくもなんともない。

が、文庫の解説で重松清さんも言っているように、それだけのお話ではないと思う。

ハルは、小学五年生にしては自分の環境に対して割り切っているところがあって、おとうさんのこともおかあさんのことも冷めた目で見ている。

でも決して心の底から納得しているわけではなく、そういうもんだというあきらめみたいなものだろう。

そうやって距離をおいて人を見るハルは、人とのつながりをまったく感じられていなかったんじゃないだろうか。

それがおとうさんとの旅の中で少しずつ変わっていく。

ひとりでもひとりじゃない、自分の背後には、あるいは傍らにはいつもだれかがいてくれる、そんな自信や安心感を獲得していくお話なのかなと思った。

エピソード満載で、一気に読んでしまうステキは小説でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『陽の子雨の子』豊島ミホ

「灰色の点々」を、わたしも知っている。

夕陽にとっての灰色の点々は、わたしにとってはどこかにつながる真っ黒な穴で、いつかそこに飲み込まれてしまうかもしれないという恐怖に震えていた時期もあった。

今はそんなことはなくて、穴がぽっかり口をあけて存在しているのは感じるけど、そこに吸い込まれて自分が消えてしまうような気はしない。

それは夕陽が最後にみつけた答えと同じなんだと思う。

わたしは14歳という年でそんなことを考えたことはなかったけどね。

豊島ミホの作品は、景色の描写が琴線に触れる。

当たり前のように身の回りにあるものが、自分の生活を支え、彩っているということを再認識させてくれる。

全体的には明るくはないけど、希望を感じさせるお話でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『新釈 走れメロス』森見登美彦

中島敦の「山月記」、芥川龍之介の「藪の中」、太宰治の「走れメロス」、坂口安吾の「桜の森の満開の下」、森鴎外の「百物語」を、森見登美彦が現代の京都を舞台に置き換えて小説にしたもの。

おもしろいよ、これ。

図書館で原典を借りて(自分で持っているものは本棚から取り出して)、一つずつ、原典を読んでから「新釈~」を読むということをした。

原典は読んだことがあるものも初めて読むものもあったけど、改めてそれらの作品のもつ迫力に興奮した。

体のまん中からじわじわと満たされ、作品に侵食されていくようにさえ感じられるあの感覚は、なかなか味わえるものではない。

それが「新釈~」と合わせれば一気に十編も味わえたのだから、ものすごく得した気分だ。

「山月記」の斎藤秀太郎はなんとも傲慢で、しかし彼の独白からは李徴の「臆病な自尊心」や「尊大な羞恥心」を感じることができる。

しかも、その状況のばかばかしさが、逆にもの哀しささえ湛えているような気もする。

「藪の中」は、原典と同じく一つの出来事を何人かに語らせることによって、真実とは人それぞれに違うものだということを感じさせる。

そのストーリー性といい構成といい、本当に巧みで、まったく違う物語なのに同じものを感じさせるのだからすごい。

「走れメロス」には森見登美彦らしい「友情」が描かれており、なんとも愉快だ。

なるほど、そんな友情も確かに真の友情であろう(笑)と思わせる。

「桜の森の満開の下」は、これまでわたしが読んだ森見作品とは少し違っていた。

詭弁論部ではないけど、彼の作品はいろいろ理屈をこねくり回す登場人物たちが出てきて読者を煙に巻いてくれる。

でもこのお話はなんというか、ストレートで、彼の新たな一面を見た気がして、ますます他の作品も読んでみたいと思った。

「百物語」は、作者自身と思われる「森見」が登場して、それまでの登場人物たちを傍観者として眺めているのがいい。

これらの物語は、原典とだけでなく「夜は短し歩けよ乙女」ともリンクしていて(してるよね!?)、知っている人は「むふふ」となってしまう。

読む人によって好みの作品が分かれるだろうけど、わたしとしては「藪の中」と「走れメロス」がお気に入り。

こんなステキな作品を書き、原典の魅力を再度気づかせてくれた森見さんに感謝、感謝!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『鴨川ホルモー』万城目学

葵祭の帰りに、「京大青龍会」というサークルのちらしをもらった安倍は、新歓コンパに参加する。

そこで出会った早良京子に一目惚れした安倍は、京大青龍会の例会やレクリエーションに参加し続け、「いつのまにか」10人のうちの1人になっていた…

大学を舞台にした青春モノであろうという予想をしていた。

その予想ははずれたわけではないけれど、予想していた以上に複雑で、ばかばかしくて、ちょっぴりせつなくて、おもしろかった。

実は「ホルモー」そのものの場面は驚くほど少ない。

映像化したらかなりの見せ場になるだろうに。

だからこそ、作者が書きたいのは学生たちの日常であり、成長であり、それらのきっかけみたいなものとして「ホルモー」があるんだろうなと思う。

「ホルモー」が何であるかはここでは書くまい。

そんなことしたらおもしろくなくなっちゃうし。

そもそも、わたくしなんぞが語れる単純なものでもないし。

作者はよくあんなものを思いついたなあと感心する。

各代のエピソードを読んでみたい気もする。

スガ氏はかなりお気に入りです。

前半はばかばかしさに笑い、呆れ、いろいろな真相が明らかになっていく後半はかなり盛り上がる。

頭をからっぽにして楽しめる本です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『トリツカレ男』 いしいしんじ

かわいいラブストーリーです。

いしいさん、こういうのも書くんですね。

本当に純粋なものを持った人なんだなぁと思います。

何かにとりつかれたかのようにはまっちゃうってことがある。

ジュゼッペはその程度が並じゃないけど、誰にだって覚えのあることだと思う。

じゃあそれはそのときだけのものかというとそうでもなくて、ちゃあんと今につながっているんだな。

いしいしんじらしい、哀しさを含みながらも、でもとてもやさしくてあったかくなる物語でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『空色ヒッチハイカー』 橋本紡

軽くもなく、安っぽくもない、とても素直な青春小説。

大人へと成長する途中の、高校三年生の独特の姿がそこにはある。

自分自身の高3の頃を振り返ってみると、彰二ほどではないにしてもやはり受験勉強に明け暮れ、少しでもいい点をとるために、判定を良くするために躍起になっていた。

なんにも考えていなかった。

そのまま大学生になって、就職して、ちょっとしてから、それまで生きてきて初めて自分自身をみつめるということをした。

とても辛い作業だったけど、わたしはそこで何かを吹っ切った。

その瞬間の感動は自分でも不思議なくらい今も感覚として残っている。

大人になるというのは、それまで当たり前のように自分をつなぎとめてきた何かを吹っ切ることかもしれない。

彰二にとってはそれがこの高3の夏休みだったのだろう。

自分の信じていたものが突然目の前から消え、自分の生き方を見失いそうになって、なんとかつなぎとめようとキャデラックに乗って九州まで旅をする。

途中拾うヒッチハイカーたちは、彰二が自分を振り返るきっかけとなり、そしてゴールの九州で、彼は自分の人生をかけた賭けに出る。

彰二の中にあるはっきりしないもやもやを無理にことばで説明しようとせず、ただその状況を描いて、わたしたちの心に彰二の想いを再現させるような書き方がいいなあと思った。

読後感がいいので、おすすめです。

こういうさわやかな読後感、久しぶり。

橋本さん、三重県出身ですよ!

勝手に親近感がわいちゃいます。

まだ1冊しか読んでいないけど、注目すべき作家さんではないでしょうか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

『太陽の塔』 森見登美彦

「休学中の五回生」である「私」の手記。

自分を振った彼女の研究を続ける「私」。

恋愛至上主義を否定し立ち向かっていこうとする姿には、実は少なからず共感する部分もあったのだけど(笑)、まあ、なんというか、「あほやなあ」(これは愛情のこもった「あほ」ね)という感じだった。

彼らは決して主人公になるような人物ではなく、脇役というでもなく、「その他大勢」の中に存在する個人だ。

だからこれは物語ではなく、手記なのであり、何らかの結末を求めるのではなく、彼らの中に吹き荒れる妄想の嵐をただおもしろがって読むのがいいのだろうと思う。

しかし、彼らの嵐の中に自分と重なる部分を見つけようものなら、ただ単におもしろがっているわけにもいかない。

妄想に明け暮れるのは、暇な学生の特権だ。

妄想世界の中で遊び(妄想であるにもかかわらず、時に他人と共有できるのがおもしろい)、それになんの実りも前進もないことにむなしさを覚えるという経験は多くの人にあるはず。

ちょっとしたせつなさであるとか、哀しさであるとか、青春の苦さを思い出すであろう。

女子のわたしでさえそうなのだから、男子諸君はなおさら、なのかな?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『笑う月』 安部公房

安部公房ほどではないかもしれないが、わたしも奇妙な夢をよくみる。

目覚めて、自分の中にあるかもしれないどす黒い世界に愕然となったりする。

言葉にするとそれを認めることになってしまいそうで、話しこそすれ、文字にするのにはためらいがある。

文字にしてしまった安部公房はやはり作家で、その冷静な眼にはただただ驚くばかりだ。

17編の中には、高校の現代文の教科書にとりあげられている作品もある。

「公然の秘密」は今3年生でやっていて、生徒も「心が痛い」と訴えてくるような作品だ。

教材研究をしているとき、涙がこらえられなくて、こんなんで授業ができるのかと心配になった。

何がそんなに悲しかったか。

仔象の存在を無視することを当然とする空気、「弱者への愛」に込められた「殺意」の行き着く結末、それらはお話の中だけのことではないし、どこかの誰かのことでもない。

自分を含むこの社会の、手触りさえ感じられるほどの現実だということに、ある意味絶望したのだと思う。

小説で描かれる人間のどうしようもない醜さは、わたしの醜さでもあり、突きつけられるから痛い。

痛い小説はなるべく読みたくないのだけど、淡々とした安部公房の筆致に惹き付けられて、ついつい読んでしまう。

ホント、魅力的な作家さんです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『レインツリーの国』 有川浩

中学生の頃に読んだ本が忘れられなくて、ふとネットで調べてみた。

たどり着いたのは『レインツリーの国』というブログだった。

ベタな恋愛小説なのだと思う。

文通していた相手に惹かれて会いたくなるというような、おきまりのパターンだ。

ただ、この「おきまり」というヤツにわたしは意外と弱いし、「おきまり」に始まって、そうじゃなくなっていくストーリー展開にはもっと弱い。

「図書館戦争シリーズ」に少し関係があるらしいということ以外なんの予備知識もなく読み始めたので、第2章ではちょっとびっくりした。

次第に直球でぶつかり合っていく二人にひやひやして、どんどん踏み込んでいってしまう会話に「有川さん、いいの?」と思わず作者を心配してしまったほどだった。

本当に他者を理解するのは、時に互いを傷つけ、血を流すほどの痛みを生じさせるくらい難しいことだ。

だから、理解しようとするのならそれなりの覚悟が必要だ。

ただわたしたちは、その覚悟を相手にばかり求めがちで、だからかみ合わなくてぶつかり合うんだなぁ。

こういうことを書こうとする作者にも相当の覚悟が必要だったはずで、賛否両論いろんな意見が作者のもとには集まるだろうけど、がんばったねぇと言ってあげたくなった。

一冊の本からの出会いっていうのは、ちょっと憧れるね。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

『卵の緒』 瀬尾まい子

「卵の緒」「7’blood」の2編からなる1冊。

血のつながり、それ以外のつながり。

家族ってなんだろう。

“つながっている”って思える相手がいることは本当に幸せなことだ。

ふだんそれは目に見えないから、とてもとても不安になってしまう。

卑怯なやり方でつながりを確かめてみたり、他人に当たって無理やりつながりを作ろうとしてみたり…

できるだけ、言葉や態度でちゃんと表していけたらと思う。

2005/6/14

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『チョコリエッタ』 大島真寿美

母が呼んだ私の本当の名前「チョコリエッタ」。

チョコリエッタとして生きたいという思いと、生きられない現実との間で、苛立ったり、行き違ったり、すれ違ったり…

“自分”を作り上げていくのはとても難しい。

今となっては、なんとなくこういうときはこうすればいいんだな、ここで線を引いてしまえばいいんだなとわかるんだけど、その真っ只中にいるときは先が見えなくて、空っぽな自分、どっちつかずな自分、宙に浮いている自分が鬱陶しくて投げ出してしまいたくなったものだ。

言葉で説明することもできなくて、イライラだけがつのっていく。

そんな自分を客観的に見る目を持ったとき、何かが変わる。

それが知世子の場合、映画なのだろう。

数年前までは、こういう劇的でない小説は苦手だった。

普段の生活においても表面的な変化を求めていたわたしは、心の動きに鈍感だったし、そういう小説を好まなかった。

今は、内面の成長みたいなものを信じている自分がいて、その成長がたとえ目に見えないようなちょっとのことでも感動したりするもんだから、こういう小説も読めるようになったのだろうと思う。

だから、逆にこういう小説を高校生ぐらいで読めちゃう子というのは、心が動きすぎちゃってしんどいんじゃないかなあと思う。

わたしが幼すぎたからそう思うのかもしれないけどね。

大島真寿美は読みやすいと思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

読み間違い ~夏目漱石「こころ」~

この間、ようやく夏目漱石の「こころ」の授業が終わった。

長かった…

教科書に載っているのは「先生と遺書」の一部で、Kの自殺を「私」が発見し、Kの遺書に自分を責めるような言葉がなかったことに「私」がほっとしたところで終わる。

人間のエゴイズムがリアルに描かれ、取り返しのつかない自殺で終わるこの単元は、授業をしている教室の空気もどんどん重くなってくる。

変に入り過ぎないように、余談も交えながらなるべく表現に注目して授業をしようと心がけていた。

先日、あるクラスでいよいよクライマックスというところを生徒に読んでもらった。

最後の文、

「そうして振り返って、襖にほとばしっている血潮をはじめて見たのです。」

というところを、その生徒は

「そうして振り返って、襖にほとばしっている血のりをはじめて見たのです。」

と読んでしまったのである。

そのときは誰もつっこみを入れなかったのだけど、次の授業のときクラスの中で思い出し爆笑が起こった。

言いだしたのは間違えた本人。

「『血のり』って、K、死んでないんやん!」

「めっちゃシリアスな場面やのに、空気ぶちこわしや!」

「奥さんもおじょうさんもひっくり返るで。」

「K、めっちゃ軽っ!」

「生き方変えたんちゃう?」

などなど。

確かに、「血のり」って (笑

わたしも一緒になってつっこみたかったけど、まあそこは先生ですから、抑えて抑えて。

いい雰囲気の中、しかし冗談だけで終わらないのがこのクラスのいいところで。

「血がほとばしっとるってことは、Kは刃物か何かで自殺したん?」

とか、

「襖って、二尺開いとった襖のほう? でもそれやったら『私』は気づくから、違うほうの襖か。」

とか。

文章をしっかり読んで、その表現から場面を浮かび上がらせようとしている姿が見られた。

文学ってこういうものだと思う。

読書は一人でするのも良いけど、みんなで読み込んでいくのも楽しいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

檸檬のころ

金曜から風邪を引いて微熱があったので、今日は家でゆっくりしていた。

読んだ本は豊島ミホの『檸檬のころ』。

田舎の県立高校を舞台にした青春小説である。

7つの短編から成っていて、主人公はそれぞれ違うのだけど登場人物や話が少しずつリンクしていておもしろかった。

何よりその場の空気の描写みたいなのがうまくて、自分の高校時代を思い出した。

今は教師として学校にいるけど、それとは全然ちがう空気。

いろんなことを思い出してしまって(出来事ではなく感覚を)、今ちょっとおなかいっぱいな感じ。

自転車を息を切らしながらこいで、苦しい思いをしながらも友達としゃべらずにはいられなかったこととか。

放課後、部活の合間にウォータークーラーの水を飲んでいたとき、クラスメイトとお互い教室での姿とは全然ちがう姿で顔を合わせてなんだか気恥ずかしかったこととか。

体育館の影とか、屋外の渡り廊下の風とか、職員室に入る前の緊張感とか、そういう小さなことを思い出してしまった。

すっかり忘れていた。

当時は特別だと思ったことはなかったけど、今はこうやって一つでも多く書きとめて残しておきたい大切な思い出だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『温室デイズ』を読んで

瀬尾まいこの『温室デイズ』を読んでからしばらく考えているのは「人はなぜ一生懸命に生きているのだろう」ということ。

生きることがあほらしくなったとかそういうことではなく、ただ純粋に不思議に思えてきた。

わたしはそんなに生きるのが苦しいとは思っていないけど、悩むことだってある。

失敗して穴があったら入ってしまいたくなったり、大声で叫んで自分の中にあるもやもやを消し去ってしまいたくなることもある。

それでも生きることをやめようとは思わない。

終わりのある人生だとわかっているし、生きて何かを残したからってそれがなんだってんだという気持ちも正直ある。

でもいい人生にしたいと思う。

これって何なんだろう。

誰かにそう強いられているわけではない。

自分が死ねば悲しむ人がいるからなるべく長生きしたいなぁとは思うけど、それと、一生懸命に生きることとは別問題だ。

最近、悩んでいる人や苦しんでいる人を見ると、「ああ、一生懸命に生きているんだなぁ」と無責任な傍観者みたいに感動してしまう。

なんか、人間ってかわいい動物じゃないか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

やっぱり伊坂幸太郎

今日から授業が始まった。

ということは、授業の最後の本紹介も再開というわけで。

やっぱり一年の幕開けは伊坂幸太郎だろうと思い『砂漠』を持っていった。

2年生のあるクラスで教壇に立つと、生徒がすぐに目をつけて「先生、本当に伊坂幸太郎好きやなぁ」と言われてしまった。

よくわかっている。

授業も残り3分というところで本紹介を始めると、「教科書やっとるときよりも生き生きしとる」と笑われた。

「そうよ、わたしは国語教師ということを利用してこの3分間は趣味に走っているから」

と言ったら、クラス中の生徒がにやりとした。

「『伊坂幸太郎を語る会』を開こうかなぁ」

と続けると、「そのうち同好会立ち上げてそう…」と苦笑いされた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)