空回りについての考察 まとめ
以前あまりの空回りっぷりに怒り心頭に発し、特急列車の中でレシートの裏に書きつけた「空回りについての考察」をもとに、いま一度空回りについて考えてみたいと思う。
当時のメモにはこうある。
「空回りとはしかし、どうして起こるのであろうか。
それは至極簡単である。
人生は全て思い通りにいくとは限らないからだ。
我々は日々、未来を予測しながら、イメージしながら生きている。
そのイメージは、自分も、自分の周りもその通りに動いてはじめて実現されるものであって、自分を、ましてや他人を思い通りに動かせない以上、所詮イメージ止まりなのである。」
空回りとは、もとは器械などがむだに回転することをいう。
それが転じて、理論や行動が同じところをまわって発展しないことを指すようになった。
さて、器械とはそもそも何のためにあるのかというと、エネルギーを有益な仕事に変換するためにあるのである。
空回りとはこの変換がうまくいかず、結果としての仕事に結びつかない様子をいう。
変換が成立しないと器械の存在意義はなくなってしまう。
では我々人間はどうかというと、エネルギーが仕事にダイレクトに結びつかずイライラしたときに空回りということばを使い、なんだかやりきれない思いになったりするのだが、器械のようにその存在意義にまで話を大きくする必要があるかというと、そんな必要は全くない。
なぜなら人間はその一つの仕事のためだけに生きているのではないからである。
あるいは、他の方法でやり直しができるからである。
それを成長と言ったりもする。
さらに言えば、絶対に許されない失敗というのはそうそうなくて、周囲の人が支えてくれたり、時間が解決してくれたりするからである。
空回りにがっくりするときはたいてい焦っているときで、こういったことを忘れてしまっていることが多い。
ゆったりと構えていれば、空回りを空回りとも感じなくなるのだろう。
人生すべてが思うようになるなんてことはあるはずがない。
そんなふうに割り切って、泰然と構えて生きていくことこそが空回りをしないコツである。
…とまあ、こんなくだらんことを考えて、自分を納得させとったわけです。
われながらあほやなぁ。
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