« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »

『食堂かたつむり』 小川糸

あわただしい日々の中で、わたしにとって食べることは時々義務でしかなくなる。

そういうときの食事は、なんだかとても空虚な感じがする。

食事というのはもっと豊かな心でいただくものなのだ。

そこに含まれるいろんなものを確かめながら。

そして、料理をするというのは実はとても神聖な行いなのかもしれない。

自分を形づくるものなのだから、空っぽな食事ばかりをしていてはいけない。

内側から自分を満たしていく、そんな料理を作り、食べていきたいなと思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第四十四回吉例顔見世 『藤娘』 『供奴』

夜の部最後は、『藤娘(ふじむすめ)』と『供奴(ともやっこ)』です。

『藤娘』は藤の精を中村扇雀さんが、『供奴』は奴駒平を中村翫雀さんが演じます。

『藤娘』は、とにかく舞台が華やかです。

舞台が明るくなったときに歓声があがるほど、一面に美しい藤の花が広がります。

そこに登場する藤の精もまた、藤の柄の着物を着、藤の枝を肩にして踊ります。

引き抜きもありますよ。

『供奴』は、拍子を踏みながら踊るところが見所で、なんだかこちらまでうきうきして、元気になって帰れるような気がしました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第四十四回吉例顔見世 『天衣紛上野初花 河内山』

夜の部、三つ目の演目は『天衣紛上野初花 河内山(くもにまごううえののはつはな こうちやま)』です。

河内山宗俊を坂東三津五郎さん、松江出雲守を中村錦之助さん、家老高木小左衛門を片岡我當さんが演じます。

「河内山」も何度か観ているお芝居です。

河内山宗俊の愛嬌のあるところに親近感を覚えます。

お金が好きで無理難題をふっかけたり、相手をばかにしたりすることもあるけれど、約束はちゃんと守るという、いい人なのか悪い人なのかよくわからない人です。

そして最後にはいいところは全部持っていってしまう、ちゃっかりした人です。

結果的には正義の味方みたいになっているけれど、中身は全然そうじゃない、ある意味とても人間味がある人物で、観ていて楽しいお芝居です。

三津五郎さんの宗俊は、お顔立ちからして使僧になったとき、より凛々しくシャンとするので、二幕目に出てきたときは一幕目とのギャップに「おおっ」となりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第四十四回吉例顔見世 『修禅寺物語』

夜の部、二つ目の演目は『修禅寺物語(しゅぜんじものがたり)』です。

面作師夜叉王を中村富十郎さん、源左金吾頼家を中村錦之助さん、楓婿春彦を中村翫雀さん、夜叉王妹娘を中村扇雀さん、夜叉王姉娘を中村時蔵さんが演じます。

華やかな世界に憧れる桂、孤独な戦いを強いられる頼家、そして芸術家としての厳しさを持つ夜叉王の姿が、岡本綺堂の手によって描かれています。

とくに夜叉王は、芥川龍之介の「地獄変」に出てくる良秀を思い出させます。

岡本綺堂(1872~1939)と芥川龍之介(1892~1927)は同時代に生きた人です。

明治・大正という時代の転換期に、人間の内面に目を向けそれを表現した彼らは、本当にすばらしい作家であると思います。

このお芝居において唯一実在の人物である源頼家といえば、母方の祖父北条時政によって暗殺された悲劇の人。

その歴史的事実と、面作師の家族とを結びつけ、なんとも味わいのあるお芝居となっています。

配役がぴったりで、久しぶりに拝見する富十郎さんの声はやっぱりいいし、錦之助さんのすっきりした顔立ちが頼家の役柄にとてもあっていると思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第四十四回吉例顔見世 『鶴亀』

夜の部は、舞踊『鶴亀(つるかめ)』から始まります。

女帝を中村時蔵さん、鶴を中村梅枝さん、亀を中村萬太郎さんが演じます。

親子での出演です。

女帝の長寿を祈願するという内容で、大変おめでたい踊りです。

新春の晴れやかな雰囲気の中で、心地よい緊張感を持って踊られます。

宮中が舞台となっているからか、他の多くの歌舞伎の演目とは少し違った印象を持ちました。

時蔵さんの美しさの新たな一面を見た、という感じです。

梅枝さんと、萬太郎さんは御園座初出演とのこと。

20歳と19歳、これから大注目です!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第四十四回吉例顔見世 『祇園祭礼信仰記 金閣寺』

昼の部最後の演目は『祇園祭礼信仰記 金閣寺(ぎおんさいれいしんこうき きんかくじ)』です。

此下東吉後に真柴久吉を中村錦之助さん、将監息女雪姫を中村時蔵さん、松永大膳を坂東三津五郎さんが演じます。

いかにも歌舞伎といった感じの、贅沢な設定です。

此下東吉とは史実で言えば豊臣秀吉のことですし、松永大膳は松永弾正のことです。

松永弾正は室町末期の武将で、主家を滅ぼし、13代将軍足利義輝を自殺させた人物です。

後に織田信長に降伏、その後叛いて敗北し亡くなったそうです。

というのは、家に帰ってきてから調べたことですが、知っていると、なるほど小田春永(史実では織田信長)が此下東吉を松永大膳のもとにやるという設定はこういう歴史を踏まえてのことなのだな、とちょっとおもしろくなります。

歴史的に大変有名な彼らをモチーフにしてのこの舞台は、金閣のセリ上げや井戸から碁笥を取る場面、雪姫が桜の花びらで鼠を描く場面が見どころです。

わたしは5列目の席でしたが、金閣のセリ上げは間近で観ると迫力があります。

雪姫が鼠を描く場面は2階席3階席から観てみたいですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第四十四回吉例顔見世 『京鹿子娘道成寺』

昼の部、二つ目の演目は、『京鹿子娘道成寺(きょうかのこむすめどうじょうじ)』です。

白拍子花子を坂田藤十郎さんが演じ、大館左馬五郎照剛を中村翫雀さんが演じます。

今までにも『京鹿子娘道成寺』は何度か観たことがありますが、いずれも「道行より鐘入りまで」で、最後は花子が鐘の上できまって終わりというパターンでした。

今回は「道行より押戻しまで」で、ちょっと違った娘道成寺を観ることができました。

『京鹿子娘道成寺』はとても好きな演目の一つです。

私は踊りをしたことがないので専門的なことはわかりませんが、それでもこの踊りの大変さは少しわかります。

曲調は変わるし、手に持つものも変わるし(楽器もあったりします)、着物だって変わるし、最後は蛇体にまでなるし、そして何より清姫の思いを演じなければならないし、とにかく大変なのです。

その分、観ている方は楽しいのですけど。

藤十郎さんの喜寿記念ということで、本当におめでたいことです。

それにしても、喜寿ということは七十七歳ということですがとても信じられません。

踊りもお肌もお若い!!

どうしたらあんなに若くいられるのか、後学のために教えていただきたいくらいです。

ちなみに幕間の時間、ロビーには扇千景さんがいらっしゃいましたよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第四十四回吉例顔見世 『天満宮菜種御供 時平の七笑』

昼の部、まずは『天満宮菜種御供 時平の七笑(てんまんぐうなたねのごくう しへいのななわらい)』です。

左大臣藤原時平を片岡我當さん、右大臣菅原道真を坂東彦三郎さんが演じます。

菅原道真といえば、右大臣の位まで登りつめながら後に大宰府に左遷され、そこで生涯を閉じた悲劇の人です。

その後京都ではさまざまな天災が起こり、道真の祟りであると恐れられました。

今では学問の神様としてまつられています。

このもとを作ったのが藤原時平ですが、この演目の中では、いかにも人のいい貴公子として登場し、謀反人と責められる道真を庇います。

歌舞伎は、お化粧を見ただけでだいたい善人か悪人かわかるものですが、この演目に出てくる時平はパッと見、悪人には見えません。

歴史を知っているわたしたちとしては、ちょっと違和感のある感じです。

その時平が最後の最後に本性を現す、そこが見所です。

わたしは我當さんの演じる悪人が大好きです。

声が通って、迫力があって、観ていてとても気持ちいいのです。

ご本人曰く、七笑いどころではないようなので、どれだけの笑いがあるかを見てみるのも楽しいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第四十四回吉例顔見世

第四十四回吉例顔見世 二代目中村錦之助襲名披露に行ってまいりました。

中村信二郎改め二代目中村錦之助さんを初めて拝見したのは、もう10年以上前のことです。

当時わたしは猿之助さんのスーパー歌舞伎や二十一世紀歌舞伎組のファンで(まだ十代でした)、そのとき澤瀉屋に在籍されていた信二郎さんを見たのが初めだったと思います。

シャンとした美しさが印象的で、すぐに顔と名前を覚えたのでした。

その信二郎さんが二代目錦之助を襲名され、御園座に御目見え。

すべて初役とのことです。

また、坂田藤十郎喜寿記念ということで、藤十郎さんが「京鹿子娘道成寺」を踊ります。

おめでたいことです。

それから、夜の部には富十郎さんが出演されます。

久々の御園座出演なので、とても楽しみにしていました。

詳しくは明日からちょっとずつ書いていきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『まほろ駅前多田便利軒』 三浦しをん

取り返しのつかない過ちを、わたしたちはいくつもおかす。

その度に、傷つき、傷ついたことによって幸せを逃した気になって、重い後悔をいつまでも引きずる。

過ちをおかさなければこんな思いもせずにすむのだけど、なぜか、どうしても、そんな順調には生きられない。

であるならば、他人とかかわらず、何も求めず求められずに生きる道を選択したらいいのだろうか。

幸せはこぼれていくだけのものでしかなく、わたしたちをそれを守ることしかできないのだろうか。

そうではないのだと、この小説は語っている。

失って、終わり、ではないのだと。

何度も読み直して、かみしめたい小説だと思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »