ヒント

アンテナを張るってすごいことだ。

昨日の今日で、言語論的転回の話を聞く機会を得た。

つまり、世界があって言葉があるのではなく、言葉によって世界が作り出されているということ。

こういう考え方は知っていたけれども、おもしろいのはここから。

言語論的転回を突き詰めて考えていくと、人の数と同じだけの世界が存在することになり、絶対的に正しいものはないということになる。

発せられた言葉と、受け取られた言葉は、必ずしもイコールではない。

そこですでに世界は分かれる。

それぞれ自分の世界で生きているわたしたちが、絶対的に正しい何かを見出し共有するというのはとても難しい。

言葉によっても理解し合えないわたしたちが、それをどう克服するかかがこれからの時代の課題である。

この課題を乗り越えるためには、理解し合うことの難しさを知りつつ、自分の言葉を対象化し、自分だけの考え方の中にどんな問題が内包されているかを常に問い続けることだ。

というような話だった。

2009年6月12日現在、わかり合えないわたしたちがつながるヒントをみつけた気がする。

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とりあえず信じていること

前提が違うと、どんな言葉もどんな想像力も、無力だ。

そう考えると、結局人と人とがわかり合えることなんてないんじゃないかなと思う。

ただ、こうも思う。

わかり合えなくても、つながることはできるんじゃないだろうか。

わかり合えないということを互いに知りながら、それでもなお、つながることができる強さとあたたかさ。

わたしは結局楽観主義者で、こういうことを本気で信じていたりする。

とりあえず、2009年6月11日時点ではこんな感じ。

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近況

2週間ぶりの休み~~~!

とか言いながら家でも仕事をしているわけだけれども、とりあえずはそれでもいいや。

いやあ、2週間がんばった、がんばった。

1週間ほど前、夜中に吐き気で目が覚めるという恐ろしい体験をしてからは、三食しっかりとり(内容は別として)、酒ものまず、睡眠時間をたっぷりとるという、非常に健康的な生活をしている。

働き方をのぞいてはね。

4月のある日、自宅にエステの勧誘の電話がかかってきた。

「1500円でこれだけの体験ができるんですよ。ぜひ、いらしてください。」

「いやあ、行く暇がないんです。」

「お子さんがいらっしゃるんですか?」

「いえ、そういうわけでは。仕事がちょっと。」

「いつぐらいならお時間ができそうですか?」

「……半年先ぐらいでしょうか。」

自分で答えておきながら、これがほぼ事実であることに愕然としてしまった。

そりゃあ、全部埋まっているわけではないけれども、いつ埋まるかもわからないような状況にはあるのです。

恐い、恐い。

さて、本を読む時間もない今日このごろ。

しかし、支えはあるのです。

生徒と話すのは楽しい。

彼らの置かれている状況はそれぞれ違うけれども、どんなに落ち込んでいても悩んでいても、それはなんとかして前に進みたいという気持ちの表れだろうから、その姿はやっぱり素敵だなあと思います。

昨日は、午前中の校務後に昼食をとる時間もなくボランティアに行ったら、部員の子たちがそんなわたしを見かねて昼食を差し入れてくれたりとか、ボランティア部のOGが今もボランティア活動をしていたりとか、別の学校の生徒だったけどボランティア関係で関わりのあった人が小学校の先生になって参加していたりとか、そんな嬉しいことがたくさんあった。

在校生も卒業生も、そうやってやさしさを見せてくれたり、がんばっていたりする姿を見ると、とても元気が出てくる。

人間と人間の関係が作り出すパワーというのはすごいな。

ボランティアのあとには部の生徒たちとプリクラをとった。

若さももらっちまったぜぃ!

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伊豆旅行

5月3日、4日、きよみさんと伊豆に行ってまいりました。

沼津で東名をおりて、修禅寺へ。

修禅寺は、平安時代に空海が開き、鎌倉時代には第2代将軍足利頼家が幽閉され非業の死を遂げた場所でもあります。

なぜこの場所に行こうと思ったか自分でもわからなかったのだけど、歌舞伎の演目「修善寺物語」を観たことがあったので、それが頭に残っていたのだということに旅行中気がつきました。

「修善寺物語」はどんなお話かというと…

頼家に面を作るよう頼まれた夜叉王が、何度作ってもその面に死相が出てしまい、納得できず頼家に渡すことを渋っていたところ、頼家が怒り夜叉王を斬ろうとしたので、娘のかつらが面を頼家に渡します。

しかしその夜、頼家は北条側の人間に殺されてしまう。

面をつけて身代わりとなり頼家を助けようとしたかつらも、瀕死の状態で家にたどり着きます。

それを見た夜叉王は、自分の腕の確かさに満足し、死を前にした娘かつらの面を写しとる。

と、こんなお話です。

これは岡本綺堂の創作ですが、歴史とうまく結びついていておもしろい作品です。

さて、そんな修禅寺のそばに日枝神社があります。

この場所は修禅寺の鬼門にあたり、源範頼が幽閉されていたところでもあります。

境内には夫婦杉の大木があり、その迫力に圧倒されます。

それほど大きくはない神社で、観光客もほとんどいませんでしたが、とても良い場所でした。

竹林の小径をぶらぶらし、源頼家の墓、指月殿、おしゃぶり婆さんの石仏なども、山道を歩きながら見てまわりました。

そのあとはひたすら南下し、宿泊する南伊豆の「テラ・憩いの里」へ。

ログハウスに泊まり、夜は地元の魚料理を、朝は天然酵母で発酵させ石釜で焼いたパンをいただきました。

このパンがめちゃくちゃおいしかった!

2日目は西伊豆へ。

堂ヶ島では洞くつめぐりをしました。

わずか20分ですが、これがとてもおもしろかった。

自然が作り出した岸壁の模様や無数の洞窟の神秘的な様子には、久しぶりに胸が躍りました。

ホント、自然って不思議です。

続いて沼津へ。

沼津では市場に行きたかったのですが、大変な渋滞と混雑のため断念。

しかし、東名にのる前に「沼津ぐるめ街道の駅」に寄ったところ、ここがよかった。

立ち食いのすし屋さんがあって、ほぼあきらめていた生しらすや桜海老を食べることができました。

ウマイ! しかも格安!!

お土産も充実していて、いろんなものを買うことができました。

伊豆は歴史も文学も自然もあって、もっともっと知りたくなる場所でした。

そして、年月を重ねることのすごさを教えてくれる場所でもありました。

カッコいいぜ、伊豆!!

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「ムサシ」

作:井上ひさし、演出:蜷川幸雄、音楽:宮川彬良。

宮本武蔵:藤原竜也、佐々木小次郎:小栗旬、筆屋乙女:鈴木杏、沢庵宗彭:辻萬長、柳生宗矩:吉田鋼太郎、木屋まい:白石加代子、平心:大石継太。

巌流島の決闘というものものしい場面から始まるので、なんだか重苦しいお芝居なのだろうかと思いきや、おもいっきり笑わせてくれます。

五人六脚の場面や、まいの過去の告白の場面は、腹を抱えてしまうほど、思わず額に手をやってしまうほどです。

「そんなばかな」

ということが続き、「でもお芝居だからありなのかな」と思いながらみていると、やっぱり最初の自分の感想が正しかった、というなんだか二重構造的なおもしろさがありました。

そして、「そんなばかな」という状況にもかかわらずしっかり巻き込まれていく武蔵と小次郎の姿はとても滑稽でした。

その滑稽さは、剣の腕を競うことに躍起になることの無意味さにも通じる気がします。

客観的に物事を見るといろいろなことに気づけます。

新たな一歩を踏み出すことも。

さて、役者陣は蜷川さんの舞台ではお馴染みの人たちばかりで、安心してみることができました。

叩いたり叩かれたり、引っ張ったり引っ張られたり、体を張ったコミカルな演技もとても素敵でした。

贅沢な舞台でした。

おもしろかったです。

(5/5 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ)

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背表紙

自分の可能性に気づかされた一ヵ月であった。

あまり気づきたくない可能性ではあったけれども……

まだまだ忙しくなれるのですよ。

いわゆる仕事上の作業をしていくということだけを考えれば、まだ空き容量はあるというわけです。

なんと恐ろしい。

そのうち仕事のし過ぎで鼻血が出るかもしれない。

そんなわたしの心のよりどころ。

昨日は仕事帰りに寄った本屋でなんだかとても癒された。

本屋で背表紙を眺めているのって気持ちいい。

いや、昨日は眺めてすらいなかった。

ずらっと並ぶ背表紙の前に立っているだけで、本の持つ豊かさみたいなものに包まれる気がして、まるで風呂にでも浸かったような緊張がほどけるような気持ちよさを感じていた。

しばらくそうやって充電して、帰路についた。

四月は確かに忙しかったのだけれど、後半は忙しい忙しいと言って自分にも暗示をかけて、自分を空っぽにしてしまっていた気がする。

しっかり考えて、自分の中身を満たして豊かに生きていたいものだ。

豊かな気持ちを持って仕事をする。

これ、五月の目標ってことで。

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『恋文の技術』 森見登美彦

ただひたすら手紙である小説。

大学院生である守田一郎氏が関係者に宛てて書いた手紙がただ並んでいるだけであるはずなのに、守田一郎氏をとり巻く人々の姿がありありと見えるし、時の進行が感じられるし、そして何より愛が感じられるのです。

手紙というのはなんとすばらしいのでしょう。

相変わらず森見さんの書く男子は冴えず、思わず

「阿呆や」

と何度もつぶやいてしまうほどです。

しかし、人間誰しも阿呆な部分は持っているのです。

完璧な人間なんていません。

完璧さを装おうとして、逆に阿呆さをさらけ出してしまうことだってあります。

人間とは愛おしい生き物です。

そして例に漏れず阿呆なわたしもやっぱり愛おしい生き物なのです。

ここではたと気づきます。

手紙だってきっと完璧さを求める必要はないのでしょう。

手紙に必要なのはただ一つ。

それはこの本を読んでのお楽しみですけれど。

それがあるから、わたしたちは手紙をもらってうれしいのですね。

メールが一般的になりつつある現在ですが、文通というものをしてみたいなあと思いました。

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日曜日

四月は忙しいのです。

日曜日である今日、一週間分の教材研究をし、一週間持ちこたえるための体力を温存し、それらを明日から五日かけてハイテンションで消費していくのです。

貯金なんてあっという間になくなってしまいます。

「金曜日まで、あたしは立っていられるのだろうか」

「来週の日曜日は、貯金するための時間の余裕があるのだろうか」

なんていう不安を抱えながら、日曜日を過ごします。

思えばわたしは昔から日曜日の夜が苦手だった。

サザエさんを観ながら、なんだか悲しい気持ちになったものです。

明日から学校へ行かなくてはならない、とかそういう問題ではなく、「日曜日」という特別な日が終わってしまうことになんともいえない寂寥を感じていたのです。

三つ子の魂百まで。

日曜日に対するこの愛憎入りまじった思いは、一生変わらぬものなのでしょうか。

そして今日も、いつものようにサザエさんを観、いつものようにサザエさんとのじゃんけんに負け、ごはんを食べて、寝床につくのでありました。

よし、明日からもがんばるぞ!!

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陽春花形歌舞伎 「雷神不動北山櫻」

不動明王、鳴神上人、早雲王子、粂寺弾正、安倍清行の五役を、市川海老蔵さんが演じます。

「雷神不動北山櫻」というのは通し狂言としてのタイトルで、歌舞伎十八番として知られている「毛抜」「鳴神」「不動」はこの狂言の中の一幕ということになります。

「毛抜」や「鳴神」はこれまでに何度も観ている演目ですが、通しで観ると、なるほどこういうつながりがあったのかとおもしろく感じられます。

今回は、海老蔵さんが五役を演じ分けたり、幕が開くと普段の歌舞伎ではあまりないことがあって嬉しかったり、一階の特別席に座っているとちょっといいことがあったりと、海老蔵さんのお客さんに対するサービスが満載です。

「毛抜」「鳴神」のおもしろさは言うまでもありませんが、その他の場面、とくに朱雀門王子最期の場の立回りはたいへんな迫力でした。

また、登場人物たちも個性豊かで、もともと「毛抜」の粂寺弾正は大好きなキャラクターなのですが、今回、安倍清行ものらりくらりとしていてなかなか良い味を出しているなあと好きになりました。

海老蔵さんが演じているからなおさらでしょうか。

早雲王子の悪人ぶりや、鳴神上人の真面目さとのギャップもいいのかもしれません。

海老蔵さんは出突っ張りで、早変りあり立回りあり、男に迫ったり女に迫ったり(笑)。

善人も悪人も演じ分けていて、なんというか、全く妥協せずに全身全霊をこの舞台に捧げているようなそんな印象を受けました。

カッコイイです、海老蔵さん。

何回でも観たい! と思うような興奮する舞台でした。

(4/5観劇)

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『美女と竹林』 森見登美彦

先日妹と書店に行ったとき、森見さんの新刊が平積みされているのを見て、

「誰がなんと言おうと、姉ちゃんは森見さんが好きなのですよ」

と言ったところ、妹が、

「誰がなんと言おうと、って…おもしろいね」

と笑ったので、「これでわが妹は森見さんに強い興味を持ったに違いない。よし、モリミーファンをまた一人増やしたぞ」とほくそ笑んでいたのだけれど、今思えば、「そんなにヘンテコな作家なのか。そんなら読まん」と思わせただけかもしれない。

いや、ヘンテコはヘンテコかもしれませんが、愛嬌のあるヘンテコなのです。

それはこの『美女と竹林』を読めば一目瞭然です。

虚実入りまじった新感覚の随筆集。

なんとも森見さんらしいではありませんか。

そしてヘンテコの裏に、実は「愛」が描かれているのではないかとわたくしなんぞは思ったりもするのです。

それはこの連載(「小説宝石」に連載されていた)の最初と最後読み比べたり、竹林伐採の場面を読んでなんとなく感じるものですが、まあ、そんなものを読み取ろうとしなくとも、大変おもしろい随筆集です。

竹林バンザイ!

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『悼む人』 天童荒太

求めていたものが描かれていた。

それは、自分がこうありたいという姿でもあったし、人にこうあってほしいと願う姿でもあった。

ここ数年、わたしの中にあった自分のありかたについての問いに、一つの答えが示された気がした。

その問いとは、わたしは人の死を純粋に悲しむことができているのだろうかということだ。

人が亡くなったときに流した涙は、はたして故人を思っての涙だったろうか。

残される自分がかわいそうで流す涙ではなかったろうか。

あるいは人の死と自分の死とを重ねて恐がっているだけではなかったろうか。

結局わたしはわたしがかわいいだけではないのだろうか。

自分が浅ましく薄情な人間に思えたし、罪悪感もつのった。

だけどこの小説を読んで、「悼む」ということを知った。

これこそが自分の理想とする姿だ、と思った。

と書いてしまうと、とても傲慢な気がする。

静人と同じようなことはわたしにはできない。

彼と同じような境地に達することは難しいと思う。

でも彼のように、ある人の人生を胸に刻むという「悼み」は自分にもできそうな気がする。

純粋にその人のことを思えそうな気がする。

それはなにも亡くなった人に限られるものではなく、生きて触れ合っている人たちを純粋に思うことにもつながるかもしれない。

死を考えることは、生を考えることにつながるのだから。

人を愛するということはこういうことなのだと、深く心に響いた。

とても、とても良い本でした。

この本にめぐり合えたことを本当にうれしく思います。

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ケーキ1個

立て込んでいた仕事にとりあえずひと区切りがついたので(ついたのか?)、帰宅途中の車の中で一人で反省会をしながら、自分を慰労したくなりました。

そこで、バレンタインデーに生徒からもらったお菓子のお返しを買うためケーキ屋さんに寄って、ついでに自分の分のケーキも買うことにしたのです。

しかし、しかしですよ、みなさん。

ホワイトデーでにぎわう店内で、ケーキ1個だけ買う勇気はわたしにはありません。

クッキーも買ったけど、それプラスであってもケーキ1個って。

ケーキを1個だけ買うわたしを、店員さんはどう思うのだろうなんていうくだらない心配をしてしまうわたしには、ムリーーー。

そう、思えばちょうど1ヵ月前。

その日がバレンタインデーであるということを忘れていたわたしは、実家に帰るのに手土産でも持っていこうとケーキ屋さんに寄ったのでありました。

比較的すいていた店内で、家族で食べるのだからと小さめのホールのケーキを頼んだところ、店員さんに、

「リボンはかけますか?」

と聞かれたのです。

「あ、別にいいです」

実家に持っていくだけだから必要ないなと思ってそう答えました。

しかし、包んでもらっている間、他のお客さんの姿を見ながらある可能性に思い当たったのです。

も、もしやこの店員さんはわたしが彼氏とこのケーキを食べると思っているのではなかろうか!?

「違うんです。これはただの家族への手土産です。」

と、店員さんにいらぬ言い訳をしたくなるような複雑な気持ちになったのでありました。

ケーキの箱には、辞退したにもかかわらずかわいらしくリボンがかけられていました…

こうして、他人にどう見られるかを気にするあまり、今日もケーキを2個買ってしまったのでありました。

べつに食べるからいいけどね。

見栄っ張り、意気地なし、小心者、なんとでも呼んでくれぃ!

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『もの食う人びと』 辺見庸

1992年から94年まで、筆者が世界中を旅し、どこで何が食べられているか、あるいは食べることができないでいるかを、見て、食べて、感じたことを綴った本。

食べるということを通してこんなに世界が見えるものなのかと驚かされた。

それにしても、15年前の日本と今とを比べてみれば、自分個人の身の回りを振り返るだけでもさまざまな科学技術の進歩がみられる。

携帯電話、パソコン、テレビ……

良し悪しは別として、生活は大きく様変わりした。

では世界はどうか。

この本に描かれている国々の名を今でも耳にする。

15年経っても状況が変わっていない国もある。

変わらないまま歴史の中に埋もれていこうとしている事柄もある。

15年、わたしたちは一体何をしてきたのだろう。

時間の流れと、そこで生きる人々について考えさせられた。

今読んでも全く古いと感じないそのことが、ある意味悲しくもあった。

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「A COMMON BEAT」

NPO法人コモンビート主催のミュージカル。

社会人を中心とした出演者達100人が、100日をかけて作り上げる舞台なのだそうだ。

4つの大陸から成る世界。

互いの存在を知らなかった人々が、あるとき他の大陸の存在に気づき交流を始める。

しかし、それを不安に思う人々も現れて…というストーリー。

異文化理解、共生をテーマとしたミュージカルだ。

出演者やスタッフたちの熱い思いが伝わる舞台だった。

世の中にはおもしろいことをやっている人たちがいるなあと思った。

そもそもどうしてこのミュージカルを観に行くことになったかというと、うちの高校の卒業生で現役大学生のみっちーが誘ってくれたからである。

土曜日、お昼に待ち合わせをして、学生が経営するというカフェでランチをした。

そこで彼女のさまざまな活動の話を聞いて感心した。

いろいろなところに飛び込んで、いろいろな人と知り合いになって、どんどん世界を広げている彼女は、本当にすごいと思った。

しかも、まだまだでかくなりそうなのでとても楽しみ。

「うちのボランティア部と協力してなにかしようぜぃ」と2人で盛り上がり、そのあとみっちーの知り合いのフェアトレード商品を扱っているお店に向かった。

大きなお店の中に一つ二つフェアトレード商品が並んでいるのは今までにも見かけたことはあったけど、フェアトレードの専門店みたいな場所は初めてだったのでとても新鮮だった。

お店の方も大変気持ちのいい人で、コーヒーをご馳走になりながらいろいろな話をした。

オレンジチョコレート、シナモンチョコレート、スリランカ産のセイロンアールグレイ、それとガザパレスチナ自治区緊急支援クッキーを買った。

このクッキーは、バターを使わずにオリーブオイルを使っている。

パレスチナ・オリーブを化学薬品を使わず低温圧搾して作られている上質のオリーブオイルなのだそうだ。

オリーブ栽培を強化することで、パレスチナ人が自立し、人々が対等に共存していける社会を作っていこうという活動の一環だということで、一袋買ってみた。

重曹を使っているので、なんだか懐かしいような味がした。

それから愛知県勤労会館に向かった。

なんだかみっちーと過ごした半日はすべてつながっていて、彼女の過ごしている毎日をダイジェストで見せてもらったような気がした。

わたしもがんばらねば! と勇気をもらった一日でした。

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『しずかの朝』 小澤征良

母と娘、姉と妹、男と女。

どれが主題なのだろうと考えながら読んでいたのだけど、きっと、そういうもの全部をひっくるめた人と人との関係が描かれているのだと思う。

どれもある意味厄介で不明瞭で面倒くさい。

人間関係というのは、本当にどうしてこうも面倒なのだろう。

でも人は、人を伝って時間や空間を共有できるのもまた事実だ。

“面倒”の裏には、そこにしかない”絆”もある。

人と人とがつながることによって、時間も空間もつながってきたのだと思うと、この“今”がとても愛おしく感じられる。

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『脳を活かす勉強法』 茂木健一郎

自分がこれまでに「うまくいった」と思ったときは、ここに書かれているのと同じようなことをしていた気がする。

わたしが国語を得意になったそもそもの事の始まりは、本読みの宿題にある。

本読みの宿題は低学年の頃からあって、わたしはかなりまじめに取り組んでいた。

これに関しては母も厳しく、「本読み3回」という宿題が、うちでは「間違えずに本読みできるようにする」であって、1ヵ所でも字が読めなかったりつまったりしたときにはまた最初からやり直し。

「よし、完璧」となったら母の前で披露し、もし間違えたらまたやり直し、というなかなかハードなものであった。

おかげで教室で読む頃にはかなり上手になっていた。

すると、「あかりんごちゃんは本を読むのが上手」と先生からも友達からも言われるようになる。

それがうれしくて、また次の本読みもがんばる。

“上手く”読めるようになるためには、漢字もしっかり覚えなくてはいけないし、ことばの意味や登場人物の心情にまで気を配らないといけない。

作者の考えがわかってくると、文章そのものに興味がわいてきて、別の文章も読んでみたくなる。

というようなことをくり返しているうちに、いつのまにか国語が得意になっていた。

これはわたしの「強化回路」がうまく回っていた例なんだろうなと思う。

今、こういう回路がちょっと足りないかも。

脳を喜ばせないとダメですね。

とても興味深い本でした。

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『脳にいいことだけをやりなさい!』 マーシー・シャイモフ

自己啓発本。

普段こういう類の本はあまり読まないのだけど、帯に茂木さんのコメントがあったことと、ネタになるだろうという思いから、珍しく手にとってみることにしました。

感想は、「これといって目新しいものはないなあ」というものです。

ベストセラー本に失礼でしょうか。

しかし、この本に書かれていることのほとんどはうちの部長が日々言っていることと変わらないし、同僚のO氏は毎日のように「今日も一日ありがとう」と独り言を言っているので、そう感じてしまっても仕方ないのです。

彼らは「幸せの国」の住人だったのですね。

やっぱりすごいです、部長!

そしてO氏。

いつも笑ってゴメン。

本からでなく、周りにいる人たちからこういうことが学べるわたしは幸せだなあと実感しました。

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『初恋素描帖』 豊島ミホ

ダ・ヴィンチで連載されていたときから読んでいたけど、単行本には書き下ろしもありますよ。

中2の人間関係が描かれていて、時に主観的に、そして時に客観的に物事を眺める未熟な彼らが愛おしく感じられます。

学校が世界の大部分を占めていたあの頃。

単純な生活の中で、でも全然単純じゃない思いを抱えていたあの頃を思い出しちゃう小説です。

にしてもね、ちゃんと中2を切り取っているところがすごいですよね。

20人分。

心も体も成長度合いが全然違う20人を書くって、観察力の為せる業でしょうか。

クラス全員分読みたい!

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『花が咲く頃いた君と』 豊島ミホ

花をモチーフとした短編集。

今のこの時を逃したくないという気持ちと、このままここに留まるわけにはいかないという思いと、そんなものとは関係なく流れていく時間とが描かれている。

「サマバケ96」「コスモスと逃亡者」「椿の葉に雪の積もる音がする」「僕と桜と五つの春」の四篇。

とくに「椿の葉に雪の積もる音がする」が好きだった。

自分の経験と、どこまでもどこまでも重なった。

本当は大切だと思っているものを素直に大切だと思えなくなっている自分。

広がった世界でほかにも大切なものを見つけてしまった自分。

子どもでなくなっていくことに罪悪感を感じてしまう自分。

ただただ一定に流れていく時間の中で、通りすぎていくものを眺めていることしかできなかった。

それは今も変わらないかも、だけど。

豊島さんが家族を描いているのは珍しくて、新しい豊島ミホを垣間見た気がした。

最後の場面がとくに良かったです。

もっとこういう作品を読みたいなあ。

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なんだかね

なんだか寂しいのです。

昨年末、大好きな中日ドラゴンズの大好きな井端選手が結婚を発表しました。

ドラゴンズファンの生徒には「先生カワイソー。でも、きっともっといい人がいるよ」と慰められました。

年が明けて、「パイパー」を観に東京に行って帰ってきて、また大きな衝撃がありました。

わたしの愛してやまない作家、森見登美彦氏がかぐや姫を迎えた(=結婚)のです。

京都に観光に行った際、偶然街中で森見氏を見かけ、「これはこれは、森見さんではありませんか。わたくしあなたのファンなのです」と声をかけ、いかに森見さんの作品がすばらしいかを力説し、「もしよければサインしてください。握手してください。お友達になってください。お付き合いしてください。」と猛アピールをする、という妄想がもうできなくなってしまったのです……。

次の日、朝一番で司書さんに慰められましたが、井端さんも森見さんも結婚してしまった今、わたしはこれから先何を支えにしていけばいいのでしょう。

さらに、大好きな作家である豊島ミホさんが休業するとのことで、このことは前からブログを通じて知っていましたが、どうもわたしが思っていたより事態は深刻みたいです。

ちょうど今読んでいるのが豊島さんの小説で、中に家族を描いた作品がありました。

家族をテーマにした小説は豊島さんの作品の中では珍しいと思うのだけど、とても良くて、彼女に新たな可能性を見出しうれしい気持ちになっていたところでした。

豊島さんのことを勝手に「心の友」と思っていたわたしとしては、これもやっぱり寂しい。

どれもこれもわたしの一方的な勝手な思いだけどもさ。

でもね、なんだかね。

寂しいのですよ。

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